主に北海道の廃墟と歴史民俗事象を中心に探索撮影しています。(半ば自分用の備忘録も兼ねています) 
重要↓
当サイトでは主に廃墟と墓地を中心に扱っておりますが、どちらも郷土史研究、または美術性、雰囲気を楽しむものとしてまとめているもので、オカルトもしくは肝試しと言った目的意味合いを一切持っておりません。閲覧の際はご了承下さい。
また、文章や画像の無断転載はおやめください。


【2018年、最近のお知らせ】
・1/1 コミケ終わってたったの1日、というよか正月元日から2018年廃初め。ダメだこいつ早く何とかしないと…
・1/25 ここに書いてあった2017年の活動をまとめました。こちらからどうぞ。
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51961456.html
・2/9 3連休が4連休になったので、西日本廃墟遠征。大戦果である。
・3/10 無理矢理休みをもぎ取り、東京大阪四国廃墟遠征。
・4/20 春の廃墟遠征 栃木静岡長野の旅。
・5/3 春の廃墟遠征その2 逆桜前線

山の牧場 -試験管と牧草ロールの錬金術-

こんな情報を耳にした。
「この間さ、山に行ってきたんだけど、その道路脇に牧場跡があってさ。すごいよー、おっきい厩舎が三つ並んでて、あれくらい大きいのは道東の方に行ってもなかなかないね」 

そういえば以前、その付近を通ったとき山の方へ立派な電柱が立ち並んでいる姿に疑問を抱いた。あの方角には誰かが住んでいるなんて聞いたことがなかったから。その後近所の人にそのことを聞くと、「いや、あの上にも人が住んでる」と顔色変えずに言った。 知らないとはそんなものだった。
なんでも昔は某大手企業によって相当大きい牧場が経営されていたが、数十年前に民間に払い下げられ、不景気と酪農の不振もあり今では牛の一匹もいない廃牧場になっている。倉庫の中には昔使っていた種付け用の試験管やビーカーなども残っている…と聴いた。
行くっきゃないだろ常考。

というわけで行ってきました。土地の権利者の意向で、具体的な場所は非常に申し訳ないけれど非公開で。

入口、晩秋ですね
この奥に件の廃牧場がある。
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あれか?
事務所と思われる
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潰れている…
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が、この建物の周囲には人が歩けるだけの道ができている。
奥にメーターボックスがある関係だろうか。

蔦が美しい
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ハイカラなつくりだ
開拓時代を髣髴とさせる。 この牧場、開設されたのは昭和初期らしいけど。
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奥から。
窓はほとんど張出型の作り。
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中をのぞいてみたが試験管類は見当たらず
さすがに事務所にはおかないよな・・・
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なんの本だろうか
気になる

そして進むと見えてくる厩舎たち
一つ目 おお確かに大きい
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曇り空が白く抜けたようになって見栄えが悪い・・・

見方によっては学校に見えなくもない
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奥のほうに別の倉庫のようなものが点在
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しかしいずれも雪のせいだろうか、潰れてしまっている

牧場と言えば牧草ロールに腰折れ屋根、サイロにそしてこれ
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これ・・・ なんていうんだろう

渡り廊下がついている
こんなにシステマチックな牧場を初めて見た 相当大規模なものだったと思われる
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第一棟と二棟。二棟は真中が崩落してしまっており、面倒そうだったので探索は後回し。
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鉛色の空に冬枯れ近い廃墟。
ああやっぱりこれに限る(結局なんだっていいんじゃないか)

二棟内部
なぜか工事の看板がある
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あんまり時間がないので詳しく見ていられないのが残念だ

そして第三棟 これがすごい
で、でかい…
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これはほぼ完全な姿。倉庫として今も現役なようだ
それよりなによりとにかく巨大。

全景 プライバシーの関係上画像処理した部分がある
すまぬ
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なぜか厩舎向かいには道路工事に使うような道具の保管場所があった。
作業トラックもその一つ。

普通の住宅なら軽く三階~四階に相当する高さ
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ここは詳しくみてみよう

怪しげな物音がする
と思ったら棲みついた野良猫たちでした
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厩舎の下段は例によって天井が低い

入口すぐ左側
奥のブロック壁はサイロのもの。サイロから取り出した牧草を置いておくための部屋と思われる
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そこらに残る牧草の束、ところどころに落ちている牛のタグ、そのままの電線類。
内部の様子からみて、ここは経営中最後まで使われたのではないか
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飼育されていた牛たちが消えて、何年たつのだろうか
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厩舎特有のすっかいような匂いはいまだ消えず。建物自体に染みついているのだ。

向こう側にはなにもない・・・?
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あとで地図を見返すと、まだまだ建物があるみたい。晴れた日にもう一度行ってみる必要がありそうだ。
建物どうしをつなげて構造も複雑になっているし、1時間ではさすがに無理があった。

サイロと厩舎、往時の姿がそのまま残っている。
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サイロに付属している木造のアレ
中身がなんなのか昔から気になっていたが、今見てはっきりした。 外のハシゴがある場所ではなくここから牧草を出し入れしていたのだ
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そして、さきほどみた仮置き場へ
謎のメモ
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クズを掃いてたのだろう
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個人的にこんな感じの被写体が好きだ

二階もあるはず。・・・これ登るのか
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 曲がってるし

おお、広い
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解放感あふれる
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 スノーモービルはおそらく冬季の移動用か

こんな構造になってるのね
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昔は木造だったこれ。
時代が進むと、トタンと鉄骨で囲ったドームになるのよね 

食べる者はもういなくなった
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ここに土に還るまでずっとあるのだろうか

木造だからか、それとも窓が適度に配置されているからか
がらんどうの建物にしては意外と声が響かない
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なかなかみられる景色ではない。

まだ見足りないが、時間が来た。(試験管を発見してないんですが)
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いいや、また来くればいい。


最後に、話は変わるがみなさんは「山の牧場」という怪談を知っているだろうか。
『新耳朶』らしい不気味で説明しがたい恐怖譚だが、ここにいると自分がその舞台にいるような気分になる。いまだに残るという試験管やビーカーも、地元に住んでいて経営をやめた話をしっているから特に変に思わないだけでまったく別の土地の人がこの牧場をみたらどうだろうか
ほとんどそのまま残された建物。遺物。落書き。怪しげなアイテムの数々、人がいそうでいない妙な雰囲気。そして立地場所と外部取材を嫌う土地の権利者。

「山の牧場」は、このような条件が重なって生まれた怪談ではなかろうか。
もしかしたら、この牧場だってその舞台になっていた可能性があるかもしれないのだから。

再訪↓
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51735608.html
 

旧京北町立宇津小学校

京都府旧京北町には以前紹介した黒田集落以外にも多く廃校が残る。黒田小学校を監理なさっていた江後さんが話を付けてくださり、今回は宇津小学校へ訪問しました。

宇津の小学校は普段自分が通らないほうの道沿いにあり、本家wikiにも一切記載がない。江後さんにその存在を示唆されるまでさっぱり知らなかった。
いつもは曲がる道をまっすぐ進む。下見とアポはもうとってあるので内部への潜入はスムーズだった。
夏だ。 アブラゼミがこれでもかというぐらい木にくっついている
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現役のころは、校庭で蝉取りをする子供たちがいたことだろう。
後で聞いたところによれば、夏にはこの横のあたりでお茶摘みを行っていたそうだ。閉校当時の在校生は卒業生を含めて32人しかいなかった。 

ずいぶんこじんまりした校舎 横に校庭があり、前には更地が。

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ポスト なんでここに
(閉校当時にここの在校生だった方によれば、昔は旧校舎の玄関に置かれており、「昔のポスト」の展示物として利用されていたそうな)
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今でも田舎に行くとこれが現役な場所がある。

さて外はこのくらいにして潜入。 …って暑いな。(そりゃあ8月上旬の密閉された建物内が暑くなかったらおかしい)
危険な廃墟でもないのでシャツ一枚で取材させていただく。

子供と大きなおともだちで目的が異なるアニメ
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作者自身そっちの気があるらしいね。

蝉の声があれだけ響いていたのに、中に入った瞬間急に静寂が訪れる。
机がすごく小さい
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今思うと低学年ってほとんど幼児と変わらないよなあ。
自分が小学1、2年の頃は高学年や中学生がものすごい大人に見えたものだ。

とりあえずトイレから。おお懐かしい
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保健室や図書室の前、手洗い場でよく見かけたこの手のポスター。

その隣の教室に入ろうとしたが開かないのでもう一つ向こうに入る
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…史料室?

こういうのって貴重なんですよ 本当に。
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よくぞ捨てないでいてくれた。

これによると今残ってる建物は別棟で、本棟(旧校舎)は取り壊したようだ。
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維持費の問題がらみで壊したんだろうか。

文集の山 ほとんどの年間文集がそろっていた。
卒業してからわかるありがたみ。
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それにしても書籍に真夏の直射日光は酷なんじゃない?

卒業生たちの落書き
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「おばけ」出るのか  学校に出るおばけなら私は大歓迎だ。

階段わきの小部屋
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たぶん物品庫だろう
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殺風景な景色だが、勉強部屋としてはけっこういい感じ。

学校の階段はどこも解放感にあふれている
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夏の昼下がりの、ゆったりとした光加減がなんとも私好み。

とりあえず右側の部屋へ
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家庭科室のようだ。
取り払われた机と配管跡 普段は見れない光景だ。
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この宇津小学校は平成16年に閉校し、周山、細野小学校と統合され京北第一小学校になったという。
黒板や電気設備からみてもそんなに古くない建物だけに、転用されていないのが惜しい。

あったなあこういう馬鹿でかいはかり
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軽くて小さいはかりがあるし、もう使わなくなっても高いお金を出して買った備品なもので、いつまでも置いておかれるんだよね。こういうの。

体育館が見える。
現役だったころは正面に本棟が構えていたんだろう
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体育館の影でユンボがなにかの作業をしていた。

向かい側は二部屋
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一つは教室
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こういうところで一日過ごしてみたい。

この日は小学校前の道を挟んで向い側にある地区の集会場で、丁度トライアスロン少年団の合宿が催されていた。教室に入るとかすかに児童と先生たちの声が聞こえる。カーテンの向こうから、歓声のような響きがカヤカヤと…
そのせいだろうか、
ふと振り向けば廊下を子供たちが走りまわっているような錯覚をおぼえる。廃校取材時独特のトリップ状態だ。学校が現役だったころと、廃校になった時代が混線してしまったような…。自分だけが虚像の校舎をさまよっているような…
そんな妙な孤独感が去来する。

微妙に平衡が崩れているけど、光が好きなので載せる
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こんな本をよく図書室やら移動図書で借りたものだ
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私の世代は、ポプラ社の『学校の怪談』シリーズが人気だった。
今はどうなんだろう。『怪談レストラン』のほうが有名なのかな。それももうかなり古いかも知れない。
『学校の階段』は最初、挿絵の画風が面白くてはまった記憶がある 前嶋先生、お元気だろうか

少しいじってみたが鳴らなかった 
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使ったらフタを閉めなさい。

さて最後は理科室。
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物品がほとんど残っている これは素晴らしい
というより、懐かしい

机になぜかメーターが
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授業説明用?

謎の実験器具が大量に眠る
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何に使うんだかさっぱり。
理科実験用具類の需要は明らかに教科書要綱の削減、または増加に左右されている。なんとも哀れだ

窓際の棚
アルコールランプとガスバーナー
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アルコールランプはホラーやサバイバル系の作品である程度需要ある気がする。ガスバーナーは持ち運びできないしな

模型 隣に耳のも
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歯はまだいいが、耳の模型はなんとも気持ちが悪い。
最初に解剖して調べた人はすごいとしか言いようがない。

食塩を溶かす実験、しましたね。
もう一つのビーカーでホウ酸を使って、飽和量の違いを調べて・・・
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光の加減がとてもいい

次に教卓
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正しい鉛筆の使い方 細かいなあ

正面棚 
こんなに大きいと
小学生では台を使っても取れないだろう。 特に最上段は
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顕微鏡 備品の顕微鏡はみんなこういう木の箱ですね
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望遠鏡と顕微鏡 
やってることは真逆でも、何か通ずるものがある。
 
左はサイフォンだろうか。 右はなんだ?
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あの瓶はなんだ 真空瓶?
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手前の傘のようなものは天体学習用

ガス管はねこそぎ抜かれていた。 当たり前といえばそこまでだが
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子供会のレク会議でもしたのだろうか
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細かいもの棚
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リトマス紙やマッチがこういう場所に入ってるのは理科室の常道。

うちの小学校にもあったな これ
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ケースのザラザラ感に病み付きになったものだ。

理科室名物人体模型さん。
顔がないほうが怖いんだが
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…で、なんで人体模型さんは男だけなの。 ねえどーしてどーしてー

酸素の発生実験は小学校で習っただろうか? 中学校ではなかっただろうか。
もしかして自分にゆとり補正がかかってるだけかもしれない。
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えーと 二酸化マンガンとオキシドールで、二酸化マンガンは触媒(?)だっけ

理科室はここらで終了。
…暑い

じゃあ涼しめの画像を
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コンデジでは遠近感がうまく出せないな… 無念。

別棟は小さいので見られる場所はこれくらい。更地になった本棟の向こうの体育館へ行く。
トイレ
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林間学校風

この向こうには校舎があったのだろう
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そして体育館
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御多分に漏れず、地域団体の活動場所になっている。
集会所のほうが新しく設備も充実もしているので、こちらはあんまり使われていないようだが。

小学生のときくらい、おもいっきり山や海で遊んだらいいと思う。
じゃないと本当に後悔する。
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恒例の校歌
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一番の終わりの歌詞はどうなのか。(中学生並の発想)

用具庫
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跳び箱が顔文字に見える。

蝉の声が絶え間なく響く。
中には、体育館の中に入ってくるものも。(死骸があったので…)
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しかし暑い。 密閉されていたためか、外のほうが幾分かましな位だった。
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ちょっとしたスペースが存在するが、昔はここに保育園があり(今は下の「ふれあい会館」前に存在) 
その後は取り壊されて教員の駐車場として利用されていたそうである。
ちなみに体育用の校庭はこの左側にある。 


以上で今回の探索は終了 理科室とカーテンの光が魅力的な場所だった。
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取材に協力してくださった江後さん、宇津自治会様 本当にありがとうございました。

家紋調査 木古内町泉澤地区、釜谷地区

木古内町、まずは泉澤の大泉寺である。
 「おおいずみでら」ではなく「だいせんじ」である。
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(大泉洋が出演している、北海道のローカル番組「1×8いこうよ」でも、昔視聴者投稿で紹介されていた )


泉澤は木古内町でも一番歴史と由緒ある地区である、なんと云ってもあの加賀前田家が入植したのだ(現在の北海殖産)
道路沿いに残る旧家もほかの地区と比べて多く、大泉寺に残る江戸時代の史料なんかも興味深い。

だが、泉澤地区の墓場は意外に狭く、分布は「五三の桐」、「丸に花菱」、「藤」、「違い鷹の羽」が多いことに変わりはない。
三つ葉柏もそこそこ多い。

『丸に切り竹笹に雀』
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 入口に存在。いきなり珍しい

家紋において「竹に雀」という組合わせはかなりポピュラーなのだけど、どうしても違和感を覚える。
雀と言えばもれなく田んぼや庭の生垣、それか民家の軒先だと思うのだが・・・

「竹林に雀がいる」というのはそんなに普遍的な光景なのでしょうか?




『亀甲に立ち沢潟』
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家紋は組み合わせの美学




『丸に篠笹』
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急いでいるからって写真の水平すらおぼつかないという体たらくはどうなのか。

 


『五つ重ね菱に中花菱』
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辞典未収録であり、正式な名称が付けられてなかったのでパーツの名前から考えた
申し訳ない




『五瓜に四ツ目』
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ちょっとかっこいい




『花橘』
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変わり上がり藤に見えなくもない

 

『ふくら雀』
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これは面白い。
紋付袴や正装用の着物に入れたらかなり目立つ。





大泉寺前の地蔵さん
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内地のような風景。

顔が欠けているけど、もしかしたらこれが「サラキの鼻欠け地蔵」なのかも
(※サラキの鼻欠け地蔵:木古内町泉澤地区のサラキ岬は古くから船の難所とされ、有名な咸臨丸を筆頭に座礁する船が後を絶たなかった。村の漁民たちはこれを鎮めようと地蔵尊を置いたがそれでも船の座礁は止まらなかった。漁民たちの間にはしだいに「船が座礁するのはあの地蔵が呼んでいるからじゃないのか」という疑念と不安が広がり、ある船頭の船が座礁したことでついに溜まっていた不満が爆発。船頭はクワを持ってこの地蔵を叩き壊そうとしたが、結局鼻が欠けたのみであった・・・ というお話)

この伝承の出所がイマイチはっきりしない。この地蔵が残っている場所も札苅の地蔵堂の中だとしているが、そんな地蔵はないと地元の人は皆語っていた。
大泉寺の住職に聞けばよかった。




場所は変わって釜谷地区

釜谷は昔上磯町に属してた地区で、他の地区と比べて若干小規模である。
お寺もない。

しかし、2003年に同時閉校された札苅、泉澤、釜谷の小学校のうち更地にされずに残っているのはいまやこの地区のみ。



墓地は墓頭数こそ少ないが、土地は広い
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サザエさんみたいな頭の人がいそうな苗字ですね。


屋号にアルファベットを入れているのもなかなか珍しい
P1050756
知る限りでは南茅部の電話帳にのっている「丸S」しか他になかった…
が、この一年間色々な場所で調査をした結果、少なからずあることがわかった。

ちなみに南茅部の電話帳は、なんと世帯名の下に屋号が載っている。
そうしないとわからないと苦情があったのだろう。ツールは場所に最適化しなくてはならない。



さて本題

あいかわらず「違い鷹の羽」、「丸に花菱」、「桐」、「藤」が多い がそもそも世帯数が少ないのでそんなに多い印象がない。

『丸に二つ引き』
この地区では上記についで多い
P1050763

この家紋は「引両」(ひきりょう)と呼ばれる種類の家紋であり、未だになにを図案化したのかよくわかっていない。
よって漢字もそれぞれ由来から「引両」、「引霊」、「引領」などさまざまあてられる。



『丸に一つ松』
P1050766
いかにも家紋という感じがする。
着物に刺繍されてるイメージがある。 




『丸に若根笹』
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ぶれすぎ
「根笹」の家紋は微妙な違いの派生種が多い



うーん・・・
『丸に三つ笹』かなあ よくわからん
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雨のお墓名物こと、ナメクジが張り付いてます

あ、上はこれですね
『三つ割篠笹』
P1050768

 



 『丸に細桜』
P1050765
 
画像が仏花とかぶり過ぎ。
追記)茂辺地で発見した同種の画像を参考してください…




釜谷の墓には墓石の後ろにサンダルや靴を置いているものが多数あった
 P1050769
画像に見られるように、杖を置いてある墓石なんかも見受けられた
生前使っていたものを置いておく風習があるのだろうか。
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