主に北海道の廃墟と歴史民俗事象を中心に探索撮影しています。(半ば自分用の備忘録も兼ねています) 
重要↓
当サイトでは主に廃墟と墓地を中心に扱っておりますが、どちらも郷土史研究、または美術性、雰囲気を楽しむものとしてまとめているもので、オカルトもしくは肝試しと言った目的意味合いを一切持っておりません。閲覧の際はご了承下さい。
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【2018年、最近のお知らせ】
・1/1 コミケ終わってたったの1日、というよか正月元日から2018年廃初め。ダメだこいつ早く何とかしないと…
・1/25 ここに書いてあった2017年の活動をまとめました。こちらからどうぞ。
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51961456.html
・2/9 3連休が4連休になったので、西日本廃墟遠征。大戦果である。

シェルターポート -石崎漁港トンネル-

上ノ国町石崎地区の漁港には、全国でも2、3ヶ所しか例がない「漁港トンネル」というものが存在する。
P1050623

離れた国道からでもぽっかり空いた口がよく見えるほど大きい。
岬の突端部にあるため一見旧道のトンネルに見えるが、これは車や人が通るためのトンネルではない。船が港に出入りするためのものなのだ 

このトンネルが建造されたのは昭和9年の事
日本海側に押し寄せていたニシンの群れが姿を消し始め、変わってイカ釣り漁が台頭した時代である。
P1050618

この漁で使われたのは小型から中型の川崎船であったため、荒天になると転覆の危険性が高かった。よって海難事故防止と沖合漁業の発展のため、石崎漁港を舟入澗とするべく昭和6年から北海道庁港湾課長、中村廉次氏のもと工事が始まる。

画像の通り、コンクリと石づくり 横幅は10mくらい。
大きい。
P1050621

港から外海へはこのトンネルを経由するしかなく、北の海特有のヤマセ風やシケも西から北にそびえる岬がほとんど防いでくれるので港内は常に凪のような状態であったという。

真中の入澗が石崎港である。地形を見ると安全地帯の程度がわかりやすい。
まさに船にとっては最強の砦。
無題

グーグル先生ありがとう。

そのかわり漂流物や砂も溜まりやすかったそうで、シケの後は砂で埋まったトンネルを村人総出で復旧にあたった。
P1050616
入口に碍子があった。 なかに電灯でも引き込んでたのだろうか

しかし、これも時代の流れか
漁船が大型になりこのトンネルを使う船も減少していた昭和56年、漁港の改修岸壁整備工事とともに港側入り口が揚場にされたことでその役目を終えることとなる。
P1050619
トンネル内の海水は濃密な磯臭さが漂う。水の循環がうまくいかないので色も深い碧色。
漁村生まれの自分にはこの臭いがどこか懐かしく感じた。

平成になってからは北海道指定有形文化財となる。
P1050620

港湾整備のため現在では通れなくなっている。残念。

家紋調査 木古内町札苅地区

木古内町札苅地区の墓地。
圧倒的に多いのはやはり『丸に木瓜』

P1050355
 
「木瓜」 レリーフになっている
 P1050353
素晴らしい技術。
鶴岡のように多数派家紋のほかはわりと分散、独立した種類の家紋になっているのもこの集落の特徴。

鷹の羽の派生型
「丸に並び鷹の羽」
P1050351
この集落では「西山」という姓が使用。
「西山」は札苅において非常に多い姓である。


これは同じってことでいいのだろうか・・・
P1050356

「丸に並び柏」
P1050352

「丸に並び矢」
P1050357
札苅集落の家紋は矢の派生形が目立った。

「丸に三階菱」
P1050359
 それなりの規模の墓地ならたいてい一軒はある家紋のうちの一つ

『丸に三盛三階菱』
P1160332

珍しい派生型。この墓地以外では見たことがない。

これが見たかった 鶴の家紋
「鳥居鶴の丸」という種類だそうな
 P1050360

「丸に蔦」
桐に似ている
P1050362

「七宝に片喰」
P1050364

「三つ割桔梗」
P1050365

この集落では西根家のみが使用。

角文字家紋
「丸に平」
P1050367
もしかしたら「百」かもしれない 微妙に形が違うから
使用家は百瀬さん

「左二つ巴」
P1050369
 
「丸に三枚笹」
P1050370
 こういうシンプルなもののほうが意外と少なかったりする

藤の派生
「加藤藤」
P1050376
加藤嘉明を由来とする加藤姓の由緒ある家紋だそうな

「丸に源氏車」
P1050381
 鶴岡ではよく見かけたが、札苅では少数派。

「丸に蔓柏」
P1050384
使用家は山川さん。

「丸に一枚柏」
P1050390
 
さてこれがすごい
「屋島扇」
P1050372
しかも墓の名字は「那須家」
子孫なのか、それともあやかったのか・・・


最初見たときはなんの意匠なのかわからなかった。
「三つ反り日の丸扇」
P1050378
かっこいいなあ。こういう家紋は自慢できる。

「丸に五つ矢」
P1050387

武功にあやかった家紋か?



番外編 面白い屋号
たぶん「ホシヤマジュウ」
P1050358
屋号も彫ってある家も多いのだ 


これが以前出した「カネ」の発展型
「オオカネ」
P1050361
「オオカネニ」だと言いにくいので、訛って「オガネニ」と呼ばれる。






以下、詳細調査結果 

家単位で数えた墓石数:322。
そのうち

木瓜 2
丸に木瓜 100
庵木瓜 4
源氏車 3
丸に源氏車 2
五三桐 3
丸に五三桐 35
下り藤 5
丸に上り藤 2
丸に方喰 3
丸に桔梗 6
三つ割桔梗 2
丸に隅立四ツ目 9
丸に四ツ目菱 2
丸に抱き茗荷 5
丸に違い鷹の羽 10
丸に並び鷹の羽 13
丸に違い矢 4
丸に並び矢 3
丸に蔦 2
丸に剣方喰 3
丸に左三つ巴 2
丸に三つ葉柏 44
丸に三つ星に一の字 3
其の他、各1ずつ
不明 30

と圧倒的に木瓜が多く、次点に三つ葉柏、五三桐が続く。

2.8キロ向こう側 -戸井線-

渡島半島の突端にあたる松前半島と亀田半島。
その背を走るように敷かれた二つの線路、一つは
その寿命をわずか35年で終えた。
そしてもう一つは、産声を上げる前にすでに死んでいた。

P1050563 
戸井線は
函館本線の五稜郭から分岐して湯の川を経由し、戸井町まで至る路線として建設された軍事利用目的の未成線。
当時の本州と北海道を結ぶ航路は函館~青森までであり約100キロの距離があった。軍部はこれがきがかりで、少しでも航路距離を短くするため、本州と北海道の距離が一番短い(約17キロ)北海道側の戸井町と青森側の大間の間に青函航路の代替行路を計画した。
戸井線はその連絡路線として建設されたのである。もともと戸井には津軽海峡を防備する要塞建設が進められており、軍需資材や物資、兵員輸送もその建設の理由の一つであった。
昭和12年に建設が開始され、竣工予定は昭和19年として順調に工事は進んだが、戦局悪化でしだいに資材不足に陥り結局昭和18年に工事は中断された。
未着工区間は残すところわずか2.8キロの距離であった

しかし、この工事で作られた橋脚、隧道は戸井の汐首岬周辺に今なお残っている
巨大なアーチ橋
P1050565
未成線の廃墟の中でも戸井線は第一級の規模と現存率を誇る

汐首岬手前に突如現れる橋脚
P1050566
何も知らない人が見たら、廃線だなんて思うだろうか

いや、たしかに廃線ではないだろう
だって、この橋は一度も列車を載せないまま打ち捨てられたのだから。

汐首岬灯台の階段付近にも、橋脚の一部が残っている。
P1050570
SIREN2みたい

戦後に、ここまで作ったのだからもう少し頑張って通したらどうかという案もあったそうだ
P1050571
が、それもうやむやなまま数十年間戸井線はほったらかし同然にされた。

しかし昭和30年代も終わりにさしかかったころ、戸井線に復活の兆しが見える。
向かいに見える津軽。これこそが戸井線に再びスポットが当たる発端であった。
P1050574
青函トンネル工事計画である。青函トンネル掘削において津軽~松前の西ルートを使うか、下北~戸井の東ルートを使うかで論議が起こったのだ。
もし東ルートが実現すれば、戸井線は数十年の苦汁を経て悲願の復活を果たすのだったが、ご存じのとおりルートは津軽~松前を使うことに決定。
昭和43年、ついに敷地は国から戸井町に払い下げられ、戸井線は一度もレールを敷かれることなく完全に廃墟となった

ネタバレ:上の画像でうすーく見えているのは松前半島の知内山です 

ここは最近改修が入っているようでコンクリが新しかった
P1050578
しかし、この線路。どうしても使われない重大な理由があるのである

P1050579
それは、この線路が建設されたのが戦中だったということに起因する。

「資材不足」と「人員不足」。「工事の無理な急ピッチ化」がもたらした、ずさんな施工である
P1050600
この戸井線、橋脚やトンネルが一部「木筋」、「竹筋」だという噂がある。
その中でも特に完成を急いだ戸井汐首岬周辺のトンネル、橋脚部は酷く、画像に見えるトンネルの中は木筋が腐って崩落が進んでいるのだ。

戸井線は、安全性からも必要性からも生まれながらに使用されない運命にあった悲運な路線だったのである。
そう思うと、さきほどのアーチがほぼ当時のまま残っているのは奇跡ではないのだろうか。

中にはこうして、生活道路として使用されているものもある。
崩落を心配する声もあるとか。
P1050591
ちなみにこの橋脚。「蓬内(よもぎない)橋」というらしい。
コンクリート製3連橋。長さ36.8m。幅3.1mである。

これはまた奇妙な光景
P1050581
廃墟には、日常と非日常があると思う

階段登り口隣りの家で昆布干しの作業をしていたおばあちゃんとお話した。
なんと今度の春にこの付近に新道が通るらしく、この橋脚もその工事で取り壊す可能性があるのだとか。
P1050582
いいタイミングだったかもしれない。

2012年8月24日追記)
2012年8月13日 北海道新聞夕刊に、ちょうどこの橋脚が解体されることが决定したという記事が載っていた。
要約するとこうである。

 「函館市は2007年度から着手している新しい市道建設を進めるとともに、旧戸井線蓬沢橋を2012年12月に解体換設することを決定した。 老朽化が進み、耐久性の疑問も根強いこの橋を生活道路としていることに地域住民からの不安、架け替えの要望が数多いためだ。 戦争遺産、また産業遺産として保存を求める声もあったが、市は不安の解消に重きを置いた。
 韮澤憲吉・函館高専名誉教授は『昭和初期の建造技術を後世に伝える価値がある』と強調し、『せめて解体時に、竹材が使われているかどうかの確認をしたい』と話している」

なんでも橋の幅が狭くて大型の消防車が通ることができないそうで、通れたとしてそもそも橋はその重量に耐えられるのか不安なのだとか。

話をもとに戻す。
おばあさん曰くこの戸井線の工事には、強制労働の朝鮮人も多かったと言う。
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この付近には、逃げてきた彼らを風呂桶にかくまった家が何軒もあるそうで。

いい景色だ。
ちょっとしたトンネルの向こうが紺碧の景色だなんて浪漫がないかねぇ?
P1050584

この天井も、中は竹・・・?
P1050589

話題のガゴメ昆布
函館~南茅部周辺にしか生えない、最高の味覚
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汐首岬からさらに行くと、線路はなくなり旧道と新道が交互に現れる道に
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島が見える 泳いで渡れるらしい
P1050593
小学生のころ、あの島の向かいの海岸で泳いだことがある
少年団のキャンプ、懐かしいのう

よく見ると港と神社が見える
P1050594
夏の間、漁師の人たちが寝泊りする番屋くらいはあるだろう

旧道のトンネル
P1050596
なんじゃこりゃ
ぜひ中に潜入してみたい。

後で調べると、この道は旧国道の「日浦道路」という廃道だそうでその筋のマニアがけっこう出入りしている場所らしい。
でも夏の潜入は無理だ。環境が整ってから潜りたい。

戻りの道中で橋跡を発見
P1050602
数年前まで小学校があったらしい。さしずめこれは校門ってわけか

小学校は、北海道の大自然に飲まれていた
P1050603
向こうの白い建物は老人ホーム

訪ねられてよかった。冬にまたこよう
P1050604

・・・お気楽モードでいくつもりが、いつもよりももっと内容おもっこくなっていたかもしれない
あれぇ…
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