主に北海道の廃墟と歴史民俗事象を中心に探索撮影しています。(半ば自分用の備忘録も兼ねています) 
重要↓
当サイトでは主に廃墟と墓地を中心に扱っておりますが、どちらも郷土史研究、または美術性、雰囲気を楽しむものとしてまとめているもので、オカルトもしくは肝試しと言った目的意味合いを一切持っておりません。閲覧の際はご了承下さい。
また、文章や画像の無断転載はおやめください。


【2017年、最近のお知らせ】
・1/2 コミケ帰りにさっそく2017年廃初め。
・1/28 札幌方面廃墟プチ遠征
・2/18 道央方面廃墟遠征
・2/25 千葉廃墟遠征の旅。カステラの土産はもう要らない。
・3/18 東北方面廃墟探索・調査
・4/22 ここに並べていた「2016年の主な活動」をひとまとめにしました。
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51937720.htmlからどうぞ。
・5/3 中国地方廃墟旅。もうしばらく山陰山陽には行かなくて…いいわけねえだろ!(帰投後も続々現れる新物件)
・6/17 夏コミ用資料収集も兼ねて秋田山形廃墟旅(兼ねるとは)
・6/24 北コミティアも兼ねて道東廃墟旅(兼ねるとはその2)
・8/14 夏コミも兼ねて四国廃墟旅(兼ねるとはその3) 真夏の四国はやはり良い
・9/14~ 台風にめげず中国山地遠征するつもりが台風には勝てなかったよ…で急遽北陸へ。読みが当たってほとんど雨には降られず。ざまあ。
・10/14~ 道東へ一晩で1000キロ走行する弾丸ツアー。意識不明上等である。
・11/2~ 知人の個展と北海道コミティアも兼ねて、函館→新千歳→東京→横浜→千葉→札幌→函館という意味不明な半廃墟旅を敢行。

S診療所 -健全ナル國民ノ診療所-  その上

かつて結核が日本の国民病であったころ。インフルエンザが「感冒」と呼ばれていたころ。
濃尾平野の奥地でひっそりと地域の健康と保健を支えた診療所があった。
戦時中まで機能していたそれは現在主を失って、緑の中にその骸を晒している。そして、中は当時の面影をそのまま残しているかのような世界が広がっていた。
名を、S診療所‐洲原村診療所という。

見た目はまるで民家。 最初に見つけた人はすごいと思う。P1030867

入口をくぐるとその筋では有名なあの光景が
感動である。
P1030819

受付窓口
鳥居のような形
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すぐ横に薬の窓口
「投藥口」と書いて「くすりわたしぐち」と読む。 
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昔の病院や診療所は建物の中に薬局があって、私も幼いころ、地元の町立病院にかかったときは会計口のあたりで薬ができるのを待ったものだ。
今はたいてい隣に薬局ができたりしてるからなあ。そっちのほうが医師も薬剤師代やらかからなくて済むし、そもそも許可が下りなかったりするのかね。

入口の目の前は診療室
P1030495
他サイトさんの画像と比較すると、けっこう配置がかわってたりする。

床中に散らばる戦前の書籍や広告類。
ここには戦後のものはほとんど存在しない。
P1030490

「ウテナほゝ紅」・・・ ウテナ化粧品は戦後も有名であった化粧品メイカー。
「ウテナ白粉」を琺瑯看板や、ガラスマニアなら知らないものはいないだろう。

6月の名曲物語は「魔王」
NHKやラジオ講座のような雰囲気だ。
P1030491
解説文は「桂近乎」による。 落語家みたいな名前だが調べたところ、戦前から戦後期に活躍した音楽家、音楽評論家のようだ

床に何気なく落ちている新聞ももちろん戦前のもの
日付は「昭和八年 五月二十日 (土曜日)」。 時間が止まっている…
P1030492
「ラヂオ けふの番組」の欄がまた時代を感じさせる。
当時は庶民の近代的娯楽といえばまずラジオであった。

こういうの古本屋に持っていくと高いんだろうけど…
P1030494

どんな薬を出されたかわかりやすくするための札?
P1030503
銭湯の鍵に似ている

診療所なので薬の広告や納品書が多い。
画像を見てもらうとお分かりのように、訪問最初の時間帯が未明だったので結構暗かった。
P1030505
この薬が「最新」だったのはいつごろなのだろう…

薬剤のアンプルや医療器具の類もほとんど丸々残っている
P1030506
この器具によってどれだけの人々の命が助かったのだろうか
しかし助けられた人も、その助けた医師も、今はもうどこにもいない

脇にたたずむ分娩台
小さいながらも総合診療所であったようだ
P1030509

薬剤を調合する器具。
P1030514

さりげなく置いてある蚊取り線香
まさか打ち捨てられた当初からこうだったとは考えにくいし…
P1030515
少し燃やした跡がある。 万が一燃え移ったらどうなると思っていたのだろうか。

奥の天井近くに貼ってある訓示
P1030517

くわしくはこちらの記事へ
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51689572.html

「ともかわ」 ではなく「わかもと」
しかし中身は薬剤ではなく、薬瓶のふたが大量に入っていた。
P1030520

切開用ハサミと鏡?
P1030523

これはぜひ読んでもらいたかったので載せた。
当時の世相がきちんと反映されている。
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それにしても昔の薬品のシンボルデザインはいつみても突飛抜け過ぎである。

進むと見えてくるのは生活スペースと営業スペースの狭間
P1030526
ラヂオが置かれている…

ツマミを回すとスイッチが入るようだ
回しますか?
                 ニア はい
                    いいえ


そして左手に
P1030821an

廃墟フリークが憧れる、あの光景が広がっていた
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夢中になってシャッターを切る
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現代語に直すと「六価クロム」 猛毒である。
もちろん医療薬品ではない

気化した薬剤が理科室のようなにおいを漂わせていたこの空間。
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手前の薬品棚にはこんなラベルが
「MEDIC. COMM」はおそらく「medicine common」の略か?
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隣りの棚にはこんなラベル
退色してしまってわかりにくいが、「劇薬」と読める
P1030743
つまり、ラベルが赤い薬品はヤヴァイってことさ。
各残留薬品やら書籍の撮影の為この部屋に一時間半いたが、どおりでなんか頭が痛いと…(冗談じゃない)

詳しくはこちらの記事で
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51687698.html

この部屋は玄関の裏方にあたる。
受付も投薬口も中身は一緒の部屋だったのね。
P1030811

これも有名な一枚。
伏字はこの物件を探訪したサイトの伝統なので
P1030848ano

下の本はおそらく数学の教科書
P1030798
なんでこんなものが。 ここにいたO先生という人物の持ち物だろうか。

薬品棚に収まっていたもの以外にも大量に薬品のアンプルや瓶が転がっている
P1030725

すみません、これ持っていったら取り替えてくれますか?
P1030737

敷居に散っていた広告
戦前の広告は一々仰々しい。 が、それがいい。
P1030722

陽もだんだん昇ってきました。
んじゃ先に行きますか・・・って
P1030810

完全に床が腐っている!
穴が空いてるわキノコが生えてるわで恐ろしいことに。
P1030529

天井もたわむにたわんで崩壊寸前。
P1030530
うわさには聞いていたが、この廃墟もあと数年耐えられるかどうかだな…

台所部分
P1030719
崩壊が進む

生活玄関方面
P1030718
算盤なんて何年ぶりにみただろう…
今の小学校でソロバンの授業はあるのかなあ。 自分のときはあったけど。

生活部分なのに普通にこんなのがある
P1030531

さて、二階へ上がりますか…
P1030532
画像曲がってるぞって?
…曲がってるのは階段のほうなんです。いやまじめに。洒落にならないって。


次回。その中へ続く
※なぜかこの下にプライベートなんとかと表示がでますが、まったくそんなことはないので上部のリンクより「その中」へお進みください。

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旧松前線廃墟群

前記事の松前線。その遺物は知内町森越から福島町、松前町一帯にかけて今でも数多く残っている。
冬が終わればすぐにでも行きたかったのだが、今年は雪が多く、そして雪がとけるまで北海道にいられないようなのでこの際とやかく言ってられる場合ではないと雪中行軍を強行することにした。

最初に訪問したるは、千軒トンネル。
旧千軒駅から松前方面に鉄橋を越えた先の離れ集落に位置する。

十数年前までは線路だった場所をひたすら歩く。
廃墟1

放射冷却でキンキンに冷えた空気に朝陽がさす
廃墟2

雪山にぽっかり空いた闇にだんだん吸い込まれていく。
廃墟3

だんだん中が見えてくる
さて中はつながってるのだろうか。 フェンスがないから中でふさがれてるよな…
廃墟4

廃墟5
闇の中を御開帳
しかし実際は口が広く、雪の照り返しもあって意外と明るい。さっきまで真っ暗に見えたのはこれも雪のせい。

そしてやっぱり塞がれている。正直がっかり

廃墟
奥まで行く気が失せたので天井部撮影
入口から数mはわざとスキマを入れる構造で作ったようだ。

そしてその隙間から鋭利な氷柱が幾本にも… これから冬場は廃墟装備にヘルメットも追加しよう。


場所は移って以前廃校を訪ねた福島町白符集落。
ここは松前線でもっともトンネルが密集していた地点で、ほとんど崖のような場所を突貫工事でくりぬいて通している。
だから、下の画像のように入口はすぐに塞がれている。つまらん
廃墟6

延長線上に線路があったはずの細長い丘が数十メーター続く。
そこから同トンネル撮影
廃墟7
なに? 画像が曲がってる?
気のせいだ気のせい。

廃墟8
反対側。
手前に白符駅があったはずで、一番奥に見える白いものは反対側のトンネル。

さらに場所はかわって松前町大沢。
今回の真打ち。フリークや地元民には有名な大沢川橋の橋脚。
廃墟9

国道沿いにいきなり現れる姿はその正体を知らなければかなり異様に見えることだろう。
廃墟12

煙突にも見えるそれは、確かにこの場所に鉄道があったことを伝える
廃墟13

昔はこのコンクリートの上に線路橋の残骸や鉄骨が残っていたのが
数年前の台風で破壊され、完全に失われてしまった。
廃墟11

橋と土を結ぶコンクリートの土台。
廃墟10


こちらは荒谷集落の橋脚。
国道から少し奥まったところにあるので知らないと見つけづらい。
廃墟14

金具のほとんどが残っていて保存状態がよい。
十余年以上も吹き曝しで金網が残っているのは奇跡に近い。
廃墟15

先ほど述べたとおり大沢の橋脚は、これに合せて半分折れた橋まで残って居たのだが…
残念。

逆光で際立たせてみた
廃墟16

物言わぬコンクリートは過疎化が進んだ漁村に佇む
廃墟21

ワイド版
廃墟17

ワイド版その2
廃墟18

というわけで、旧松前線産業遺産めぐりの旅はひとまず終了。
ホントは知内町内の橋が残っている小川にも行きたかったんだけど雪がねぇ…


おまけ
福島と松前の間にある奇岩
マンちゃん

谷川俊一の『なんでもお○んこ』という詩を御存じだろうか。あれを思い出すセクスィな形状。
『なんでもおま○こ』は若干病的なものがあるが、自然の雄大さを独特の語り口と視点で描いた素晴らしい詩だった。
…詩人って凄い。

上ノ国町立宮越小学校

木古内から江差へ抜ける峠の脇道に入ることいくばくもなく、上ノ国町の宮越という集落が存在する。独立した集落の体をしているので、もしかしたら小学校があるのではないかと古い地図を見てみるとやはりあった。
宮越小学校は昭和24年、上ノ国村立河北小学校宮越分校として開校。 開校時の児童数は53名。 その後生徒が増えるに従って昭和31年に宮越小学校として独立した。
しかし、昭和39年の64名をピークに児童が減少していき、平成9年に閉校となった。

まず宮越の集落から
いい感じの鄙び具合。
P1010624

茅葺きをそのままトタンに葺き替えましたというこの形
P1010626
みるたび内部がどうなってるのか気になる

路地を進むと小学校の影が見えてくる
・・・さすが木造の平屋建校舎だけはある。風情がある。
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全景
P1010647
こういう場所の多くは町内会で管理しているので、町内会長に取材を頼めばわりとすんなりいく。斜向かいの大きな家に声をかけると、たまたまその家の方が町内会長であった。
会長氏もこの学校の卒業生で、鍵を開けるついでに当時のお話を聞かせてくださった。ありがとうございます。

校庭。狭すぎて楕円形のトラックが描けず、むりやり円形のトラックを引いていたらしい
つまり、アウトコースは圧倒的不利を強いられる。 ヒドイヨ
P1010653
では50m走の直線トラックはどうするんだ?という話になるが、会長氏によれば道路から校庭に入ってくるこの道をトラック代わりにしていたそうだ。
思いっきり坂だが、タイムに不正がでるわけないだろう。そうに違いない。
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いよいよ中へ

玄関からすぐT字型に折れる。右側は体育館と3・4年生教室。
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「館」ではなく「室」。 この学校の規模がどのくらいだったかを示してる
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ボケてますね すみません

内部。
一瞬何かの儀式会場かと思ってしまった
P1010607

脇の3・4年生教室
この狭い教室に、全盛期には鮨詰め状態で児童がいたのだろう。
移動式の黒板は複式学級の名残。
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廊下
管理が行き届いているので廃校の中ではかなりきれいな部類に入る。
P1010611

十数年前まで、この廊下を子供たちが駆けていたはずだ
P1010618

廊下の写真を撮っているとき会長氏が昔話を語ってくれた。
当初、この学校には体育館がなかったので、体育の授業は廊下でやったのだという。教室の外でワーワーキャイキャイ状態になるのだ。
今ならそんな状態で授業なんかできるかと文句が付きそうだが、最初からそんな状態であるとみんな普通だと思い特に疑問も抱かずずっとそれで過ごしていたそうだ

歴代校長の集い
P1010616
天井のシミが、ここはどういう場所なのかを物語っている。

笹か。
宮越は有名なササダケ(笹のタケノコのこと)採りのシロがある山の入口である。
P1010613
鍵を閉めてもらわねばならないので、この辺で失礼することにした。

去り際、廊下を人影が横切った気がして振り向くと、やはりそんなものはどこにもいず、あるのは鏡だけだった。
P1010617


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