主に日本の廃墟を中心に探索撮影しています。(半ば自分用の備忘録も兼ねています)

【2020年6月現在】おしらせ
現在、こちらは更新をしておりません。探索・旅行などの活動及び創作物に関してはこちらをご覧ください。
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当サイトでは主に廃墟と墓地を中心に扱っておりますが、どちらも郷土史研究、または美術性、雰囲気を楽しむものとしてまとめているもので、オカルトもしくは肝試しと言った目的意味合いを一切持っておりません。閲覧の際はご了承下さい。
また、文章や画像の無断転載はおやめください。

家紋調査 爾志郡乙部町三ツ谷地区墓地

 檜山支庁の中で、ほぼ中央に位置する乙部(おとべ)町。由来はアイヌ語の「ヲトォウンベ(沼のあるところ)」とされる(『地名考幷里程記』)

 乙部の名がよくあがる歴史的トピックスといえば、明治2(1869)年に新政府軍が旧幕府軍占領中の蝦夷地へ上陸した場所であるということだろうか。
 古い文献では『津軽一統志』に「おとへ 是迄二里 狄おとな[アイヌの首長的存在のこと]見候内 家五十軒程」「乙部村 川有 しやも[和人のこと]狄共入交り…」、福山秘府の中に寛永10(1633)年の幕府巡見使一行が船で「ヲトベ 瀬茂内」を視察して引き返した記述がある。
 『津軽一統志』の記述にもあるように、乙部は和人地と蝦夷地の境界付近であり、比較的近代までアイヌ人と和人が雑居していた。『東遊雑記』には「幕府の巡見使は乙部まで来ると、出迎えのアイヌから鶴の舞や弓矢で的を射る儀式を見て引き返す慣例である」という話がある。だが、天然痘や麻疹の流行で、アイヌ人は宝永7(1710)年くらいまでにほぼ死に絶えてしまったそうである。

 また、この付近は火山活動や地震の影響で大きな津波を何度か受けており、菅江真澄は『えみしのさえき』の中で、「乙部の津鼻」に逗留中地震に遭遇し、津波が押し寄せてほとんどの人家が失われ、犠牲者も多かったことを記録している。江差や松前のような直接的記述は見られないが、寛保の大津波でも被害が出たものと思われる。
 地形自体は、日本海側によく見られる断崖絶壁と川による平野、奇岩が連続する海岸線の町であり、現在の主幹産業は漁業と農業である。

 余談だが、廃墟趣味のために岩手県宮古市の旧田老町を訪ねた際、山道の入口手前に「田老町乙部」という標記が入った陸橋を発見した。
 東北地方でもアイヌ語由来の地名はたくさんあるので、気になって調べたところ、こちらはアイヌ語の「オトプ(ミズゴケ)が沢山あるところ」が由来とされ、「音部」と書かれることもあったと言う。
 東北には他にも青森県東北町や岩手県紫波町に「乙部」の地名があるそうだ…。

 と言ったところ。乙部の記事は初めてなので、説明させていただきました。こういうのは最初が肝心。
 ここからは、いつものように墓地と家紋のお話に移りたいと思う。
 今回の調査地点は乙部町三ッ谷地区。典型的な磯海岸地帯であり、南に穴澗岬、北に安山岩の柱状節理で有名な鮪ノ岬(しびのみさき)が位置する。切り立った海岸段丘を背にして、浜に一筋の街と往来が形成され、地名の由来はその地形を反映したアイヌ語の「モトイヤ(湾曲した浦・陸地)」とされている。
 地内には「能登の水」という名水が湧いている。明治19(1886)年の『北海道巡回紀行』の中には、この土地の開基は不明だが、村の旧家である星山杢左衛門の祖先杢衛門が加賀国能美郡串村から移住し、漁業に従事したとの伝えがあるという記述があり、「能登の水」の由来もそのあたりと関係あるのかもしれない。
 墓地は二ヶ所存在するが、いずれもごく小規模で、能登の水へ向かう山道の脇に存在する。 

 まず一ヶ所目。調査中ずっと山鳩の鳴き声が響いていた。
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・鶴の丸
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 鶴の丸 だとは思うのだが、やたら首が太く、もしかすると鳩かもしれない。
 使用家は米田さん。

 他も丸に二つ引や梅鉢などめぼしい家紋は見受けられないが、珍名字を一つ発見する。
陳祐(じんすけ)(じんゆう)
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 一見、よくわからない珍名字だが、「陣祐」であれば石川県・福井県を中心に見られる苗字であり、これはその派生苗字であろう。「陳祐」自体も同じ地域でわずかながら存在する。移住者の子孫と考えられる。


 さて、二ヵ所目 こちらも小規模な墓地で、めぼしい家紋は少ない。
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ふとしたところに笏谷石が使われているのを見ると、かつての日本海航路による交易を意識する。
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・備前蝶(鎧蝶)
DSC_0617 鎧蝶 備前蝶の派生か 備前岡山藩家の替え紋
 備前岡山池田氏の家紋として有名な蝶家紋。
 ここでの使用家は長岡さん。

 今回調査した墓地の位置はこちら。 

C88 結果報告

C88に参加された皆さま、お疲れさまでした。
そして、当サークルへ足を運んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。
1年ぶりのサークル参加で、本来の廃墟島から少し離れた場所だったにも関わらず、昨年よりさらに多くの方々に来ていただいて、ありがたいかぎりです。

こんな感じでした。
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今夏用意した部数は新刊・既刊ともに150部。
完売とまではいきませんでしたが、おかげさまで新刊のほうはほとんど頒布しきることができました。
さらに、御土産や飲み物、特製グッズなどを差し入れしてくださる方々もいて、感謝してもしきれませぬ…。
これはもうVol.3も出すしかないでしょう!

というわけで、会場でお配りしたペイパーにも書きましたが、ここで次巻予告もしてしまいましょう。
冬コミは厳しいとおもいますが、次の『廃録 Vol.3』ももちろん出します。
内容は道北のたった数年で廃墟となった街を考えています。でも、もしかしたら函館の廃墟特集になるかもしれません。まったく違った小さいテーマに集約した本かもしれません。
そこらへんはこれからの取材の進み具合に依りそうです。
アバウトですみません。


最後に、今回新刊・または既刊、もしくはどちらも事前予約いただいた方々へは、これから発送のご用意をいたしますので今しばらくお待ちください。
上にある通り、まだ若干の部数が手元にありますので、今からでも欲しいぞ!という方はお気軽に下のコメ欄あたりでご連絡を。
 
それでは簡単ではありましたが、皆さまコミケ疲れやお盆の休み疲れ、残暑にはお気を付けて。
お疲れ様でした!

夏コミ廃墟本新刊&既刊のお知らせ 並びに取り置き、個人通販のお知らせ

いろんな意味で長らくお待たせしました。
今夏のコミックマーケット88で頒布予定の新刊、そして既刊の増補改訂版が無事に完成いたしましたのでお知らせいたします。


まず、新刊。
『廃録 Vol.2』です。

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北海道の道央は夕張、三笠を中心とした旧産炭地の炭鉱、学校、病院などの廃墟を、その経緯と現在の姿を文・写真を交えて紹介する廃墟写真資料集になります。
本当に炭鉱を研究している人の足元にも及びませんが、今回は一応、幌内炭鉱がメインです。なにせ幌内炭鉱の記事だけで主文が7000字以上あります。なので、それなりに読める本のはず。
Vol.1からさらにページ数が増えて44P、もちろんフルカラー(新聞史料はモノクロだけど)です。 
以下、サンプルになります。
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次に既刊の紹介です。
昨年頒布した『廃録 Vol.1』ですが、洲原村診療所特集と謳っておいて大して特集してなかったのと、手直ししたい箇所がたくさんあったため、この機会だと思い切って増補改訂 しました。
ページ数は36で去年と同じですが、大分内容が充実しました。 
メインの洲原村診療所(岐阜県)のほか、主に北海道道南地方の廃墟を、歴史的背景、経緯などを交えて解説する廃墟写真資料集です。

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価格は新刊が¥1,200、既刊が¥1,000を予定してますが
今なら新刊と既刊増補改訂版を同時購入することでセット価格¥2,000になりますのよ奥様。

そして、同時に取り置き&通販のお知らせです。
会場に行きたいけど時間が厳しい、取り置きしといてほしい!というあなた。
欲しいけど会場行けない… というあなた。
事前に申し出があればどちらも対応いたします。

Twitter経由でこのページにたどり着いた方は私のTwitter垢のほうに
Twitterをやってない方、知らない方はこの記事にコメントでいいので
「取り置きして!」「取り置きしてあとで通販して!」とお伝え下されば
対応します。
ただし、通販はコミケ期間が終わった後の土日、8月20日ごろから順次発送いたします。
個人通販なので、基本的には連絡用メールアドレスやTwitterのDMを用いたヤ○オクのような取引ののち
レターパックなどで郵送する形になります。


それでは、半月後のC88、8月14日(金)東ブロック メ-04aにてお待ちしております。

準備会の謎裁量によって、何故か廃墟島から少し離れたあたりに配置されておりますので、お間違えのないようお願いします。というよか、来てください… ぐぬぬ 
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