先週、京北町内の廃校にお邪魔させてもらった。
京北には名産の北山杉を使った真新しい小学校があったが、これは数年前統合された際に建て直されたもので、今回訪ねた黒田小学校はその時並行して廃校された。
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道沿いに建つコンクリート造りの校舎。

集落の規模には似合わないくらい大きい
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前に通りかかった時は閉まっており、「京北研修センター」の表札が玄関にかかっていたのでまあいつかあいているだろうと考えていた。
そのタイミングがこんなに早く来るなんて僥倖僥倖。 これも日ごろの行いの賜物ですね(棒)

しかし、いくら開いているからと言って勝手に入るのはしのびないので、柄にもなく大声で「こんにちはー!」と言ってみた。
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まったく返事がない。
が、階段の上からなにやら話し声が…

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僕の靴じゃありませんよ。
 
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二階の教室では、なにかのセミナーっぽいのが開催されていた。声をかけると少し待つようにと。

しばし待つこと、一階に下りてきたのはさきほど年齢と敬称のことについて(?)熱く語っていた男性と少し顔が濃い若者たち。
事情を話し、見学させてほしいと申し出ると快く取材を受け入れてくれた。

以下は、ここを管理している黒田自治会長:江後さんが話してくださった内容である
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ここが閉校されたのは今から10年以上前の1999年のことだという。

職員室
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たいていの廃校はその後あまり使われることもなくただの骸となって朽ちていくが、この集落はかなり根が座っていた。

廃校の危機に瀕した地元の学校を残そうとする運動が湧きおこったのだ。
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学校は地域の活気を興す基礎となる場所。
過疎がすすむ山村だったが、それだけに活動も活発だった。

市内からこの土地へ移ってきたある人が有志を募り、田舎暮らしを望む若い夫婦へ使われていない家屋を格安で提供した。
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自治会とその努力により、一時は廃校の話題がかすむほど児童数が増えたときもあったという。

しかし結局力及ばず、こうして廃されたものの一員となってしまった
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それでもただでは折れない自治会
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「京北研修センター」と名を変え、廃校された年からすぐにさまざまなイベントに使える公共施設へとシフトチェンジし、今なお半分現役施設として生きているわけである。

ただ、老朽化のため二階の廊下が少したわみ、一階も多数ガタがきているのであまり大きな顔をして使うことはできないんだそうな。消防法め。
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ひでよ
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怖いよ

地元のお祭りなどで使うらしい
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校舎は夏の間子供たちの宿泊施設や、お祭り自体の催し物の母体としても活用されているそうだ。

もう一つ空き教室があったが、今夏から祇園祭の山の一時保管と調査に使われるらしい
なんの山かは聞きそびてしまったが山鉾巡行の翌日から搬入されるとおっしゃっていたし、今頃大にぎわいだろう。
校舎は夏の間、研究で訪れる大学生たちの良い塒になるだろう。

コンクリづくりの廃校も独特の雰囲気がある。
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私たちあたりが、冷たさの中に人臭い雰囲気のあるコンクリ校舎を知ってる最後の世代かもしれない。

今の学校建築も公共物も、ヘタに暖色系というか介護施設的な雰囲気が濃くて好きになれないのだ。
それに比べて、ペンキをはがせばひび割れまくりで、ひんやりとした空間に何者かの存在感があるコンクリ建築。 学校、病院、公民館etc なんて素敵なんだと思う。

話を元に戻そう。
本日も、研修センターとして活用の時分であったと江後さんは語る。
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とんぼが迷い込んでいた。

最近は研修期間をへて日本企業へ就職する東南アジアあたりの人が多いが、今回はそんな人たちの寝泊りと教育の場として使っていたのだと。
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どおりで顔が濃かったわけで。

使わず腐らせるより、どんどん開放してみんなで使ってあげるほうが学校だって喜ぶに決まってる。
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もともと学校はそういう場所なんだもの。

廃墟趣味をやってると、人の記憶から消え去った廃校なんてのも数多見ることになる。
廃村の廃校ほど悲しいものもない。
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けどこの集落の人たちなら大丈夫だ。

転んでもただでは起きない。
故郷を絶対に死なせない。黒田集落の人々の気概と郷土愛を私はみた。
それが有る限り… きっと大丈夫だ。

昔は日本の子供たち。
今は異国の研修生たち。
この学校は変わらず人の努力を見守っている。
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