上ノ国町石崎地区まできたら、廃墟フリークとしてみておかねばならないものがある。
P1050625
かつて石崎の沢には「上国鉱山」が栄え、早川という街があった。
昭和11年にこの地でマンガン鉱床が発見され、14年から八田満次郎氏によるマンガン鉱山経営が始まった。
これを昭和18年に中外鉱業株式会社が買収して開発が急速に進んだ。名前を「中外鉱業上国鉱業所」、これがいわゆる「上国鉱山」であり、1975年までマンガン、後に銀や鉛を主とした採掘が行われた。
仕事がある場所には人が集まる。
早川集落には中外鉱山従業員とその家族の為に施設住宅が244戸、寮が3があり、昭和32年には上ノ国会館が建てられ社内行事、映画、バレー、ダンスなどに利用。娯楽室は会合、娯楽研修に利用された。
ほかにも診療所、浴場、理容所、配給所、簡易郵便局、村立若葉小中学校、村立若葉保育所、各種商店まであった。最盛期の早川は人口1500を超える一大集落であった。
しかし、この手の鉱山によくある終焉。円高による採算割れがもとになって昭和61年に閉山。人々は職を求めてチリヂリになっていき、小学校も翌年閉校。
そして今この地に残るのは、選鉱所と鉱石を燃やす焙焼炉、鉱業で栄えた村の骸のみである…

まるでロケットのような姿。 廃墟フリークなら一度は見ておきたい上国鉱山、ペンシル型焙焼炉。
北海道には数々の隆盛と衰退をたどった鉱山町の跡が残るが、ここはその南限でもある。
P1050626
山中に突如現れるその姿にしばし呆然とする。

ただ、この廃墟周辺には未だに採石場があり、他にも鉱毒水の攪拌池の点検に電気工事業者が出入りするので割合さびしくない。
P1050628
夏は木が生い茂って見えなくなるが、画像上部の林内にも建物跡のようなものが残っている
ワイヤーにつかまって砂山の途中まで登る猛者も。

ちなみにこの焙焼炉は全12基。赤レンガ内張りで鉄筋コンクリート外囲。内径2.3~2.5m。高さ13.8m
一つの装入鉱量約50t。一日13t~15tの焼鉱産出が可能であった。

当時の焙焼炉である
P1080351

上部にあった建物アップ
P1050630
木材もセルロースを失い完全に廃墟色。
野付崎の立ち枯れたトドマツ林のようでもある。

同じアングルばっかりだな・・・
P1050634

焙焼炉内部
隣りの焙焼炉も数年後には崩れてそうだ
P1050632


P1050635

上の写真によると、操業当時から木造施設の周りには大量の砂利がある。
P1050624

ただの砂利にしては黒いし、ズリだろう。
P1050641

けっこう足跡がついていた。

早川集落にはこのほかにも選鉱所のほか、公民館や商店などが廃村になって残っている。おしむらくは、ここに残っていた廃校若葉小中学校が平成21年に解体されたことである。現在は、学校跡地に記念碑が立っている。
車にたかるアブの数が半端でない。

P1050642
 
帰りの道中、古い橋脚のようなものを発見する。 見えにくいが写真中央部右。
旧道の橋ゲタか、それとも鉱石を運ぶトロッコやら鉄道でもあったのか…
P1050643
 聞くところによると、早川の上国鉱山よりもっと上の沢にも鉱山町があったらしいが、あまり質のいい鉱脈ではなかったらしく、大して人も住んでいなかった上に早期閉山されて早川地区に吸収されるかたちになったそうだ。
坑道入口と、攪拌池、電気設備がわずかに残っているだけと聞いた。

詳しい集落や工場のデータはこちらへ
http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51737558.html


おまけ
帰り道に江差を見る。 風車多すぎ。
P1050645