京都府旧京北町には以前紹介した黒田集落以外にも多く廃校が残る。黒田小学校を監理なさっていた江後さんが話を付けてくださり、今回は宇津小学校へ訪問しました。
宇津の小学校は普段自分が通らないほうの道沿いにあり、本家wikiにも一切記載がない。江後さんにその存在を示唆されるまでさっぱり知らなかった。
いつもは曲がる道をまっすぐ進む。下見とアポはもうとってあるので内部への潜入はスムーズだった。
夏だ。 アブラゼミがこれでもかというぐらい木にくっついている
現役のころは、校庭で蝉取りをする子供たちがいたことだろう。
ずいぶんこじんまりした校舎 横に校庭があり、前には更地が。
ポスト なんでここに
(閉校当時にここの在校生だった方によれば、昔は旧校舎の玄関に置かれており、「昔のポスト」の展示物として利用されていたそうな)
今でも田舎に行くとこれが現役な場所がある。
さて外はこのくらいにして潜入。 …って暑いな。(そりゃあ8月上旬の密閉された建物内が暑くなかったらおかしい)
危険な廃墟でもないのでシャツ一枚で取材させていただく。
子供と大きなおともだちで目的が異なるアニメ
作者自身そっちの気があるらしいね。
蝉の声があれだけ響いていたのに、中に入った瞬間急に静寂が訪れる。
机がすごく小さい
今思うと低学年ってほとんど幼児と変わらないよなあ。
自分が小学1、2年の頃は高学年や中学生がものすごい大人に見えたものだ。
とりあえずトイレから。おお懐かしい
保健室や図書室の前、手洗い場でよく見かけたこの手のポスター。
その隣の教室に入ろうとしたが開かないのでもう一つ向こうに入る
…史料室?
こういうのって貴重なんですよ 本当に。
よくぞ捨てないでいてくれた。
これによると今残ってる建物は別棟で、本棟(旧校舎)は取り壊したようだ。
維持費の問題がらみで壊したんだろうか。
文集の山 ほとんどの年間文集がそろっていた。
卒業してからわかるありがたみ。
それにしても書籍に真夏の直射日光は酷なんじゃない?
卒業生たちの落書き
「おばけ」出るのか 学校に出るおばけなら私は大歓迎だ。
階段わきの小部屋
たぶん物品庫だろう
殺風景な景色だが、勉強部屋としてはけっこういい感じ。
学校の階段はどこも解放感にあふれている
夏の昼下がりの、ゆったりとした光加減がなんとも私好み。
とりあえず右側の部屋へ
家庭科室のようだ。
取り払われた机と配管跡 普段は見れない光景だ。
この宇津小学校は平成16年に閉校し、周山、細野小学校と統合され京北第一小学校になったという。
黒板や電気設備からみてもそんなに古くない建物だけに、転用されていないのが惜しい。
あったなあこういう馬鹿でかいはかり
軽くて小さいはかりがあるし、もう使わなくなっても高いお金を出して買った備品なもので、いつまでも置いておかれるんだよね。こういうの。
体育館が見える。
現役だったころは正面に本棟が構えていたんだろう
体育館の影でユンボがなにかの作業をしていた。
向かい側は二部屋
一つは教室
こういうところで一日過ごしてみたい。
この日は小学校前の道を挟んで向い側にある地区の集会場で、丁度トライアスロン少年団の合宿が催されていた。教室に入るとかすかに児童と先生たちの声が聞こえる。カーテンの向こうから、歓声のような響きがカヤカヤと…
そのせいだろうか、ふと振り向けば廊下を子供たちが走りまわっているような錯覚をおぼえる。廃校取材時独特のトリップ状態だ。学校が現役だったころと、廃校になった時代が混線してしまったような…。自分だけが虚像の校舎をさまよっているような…
そんな妙な孤独感が去来する。
微妙に平衡が崩れているけど、光が好きなので載せる
こんな本をよく図書室やら移動図書で借りたものだ
私の世代は、ポプラ社の『学校の怪談』シリーズが人気だった。
今はどうなんだろう。『怪談レストラン』のほうが有名なのかな。それももうかなり古いかも知れない。
『学校の階段』は最初、挿絵の画風が面白くてはまった記憶がある 前嶋先生、お元気だろうか
少しいじってみたが鳴らなかった
使ったらフタを閉めなさい。
さて最後は理科室。
物品がほとんど残っている これは素晴らしい
というより、懐かしい
机になぜかメーターが
授業説明用?
謎の実験器具が大量に眠る
何に使うんだかさっぱり。
理科実験用具類の需要は明らかに教科書要綱の削減、または増加に左右されている。なんとも哀れだ
窓際の棚
アルコールランプとガスバーナー
アルコールランプはホラーやサバイバル系の作品である程度需要ある気がする。ガスバーナーは持ち運びできないしな
模型 隣に耳のも
歯はまだいいが、耳の模型はなんとも気持ちが悪い。
最初に解剖して調べた人はすごいとしか言いようがない。
食塩を溶かす実験、しましたね。
もう一つのビーカーでホウ酸を使って、飽和量の違いを調べて・・・
光の加減がとてもいい
次に教卓
正しい鉛筆の使い方 細かいなあ
正面棚
こんなに大きいと小学生では台を使っても取れないだろう。 特に最上段は
顕微鏡 備品の顕微鏡はみんなこういう木の箱ですね
望遠鏡と顕微鏡
やってることは真逆でも、何か通ずるものがある。
左はサイフォンだろうか。 右はなんだ?
あの瓶はなんだ 真空瓶?
手前の傘のようなものは天体学習用
ガス管はねこそぎ抜かれていた。 当たり前といえばそこまでだが
子供会のレク会議でもしたのだろうか
細かいもの棚
リトマス紙やマッチがこういう場所に入ってるのは理科室の常道。
うちの小学校にもあったな これ
ケースのザラザラ感に病み付きになったものだ。
理科室名物人体模型さん。
顔がないほうが怖いんだが
…で、なんで人体模型さんは男だけなの。 ねえどーしてどーしてー
酸素の発生実験は小学校で習っただろうか? 中学校ではなかっただろうか。
もしかして自分にゆとり補正がかかってるだけかもしれない。
えーと 二酸化マンガンとオキシドールで、二酸化マンガンは触媒(?)だっけ
理科室はここらで終了。
…暑い
じゃあ涼しめの画像を
コンデジでは遠近感がうまく出せないな… 無念。
別棟は小さいので見られる場所はこれくらい。更地になった本棟の向こうの体育館へ行く。
トイレ
林間学校風
この向こうには校舎があったのだろう
そして体育館
御多分に漏れず、地域団体の活動場所になっている。
集会所のほうが新しく設備も充実もしているので、こちらはあんまり使われていないようだが。
小学生のときくらい、おもいっきり山や海で遊んだらいいと思う。
じゃないと本当に後悔する。
恒例の校歌
一番の終わりの歌詞はどうなのか。(中学生並の発想)
用具庫
跳び箱が顔文字に見える。
蝉の声が絶え間なく響く。
中には、体育館の中に入ってくるものも。(死骸があったので…)
しかし暑い。 密閉されていたためか、外のほうが幾分かましな位だった。
ちょっとしたスペースが存在するが、昔はここに保育園があり(今は下の「ふれあい会館」前に存在)
以上で今回の探索は終了 理科室とカーテンの光が魅力的な場所だった。
取材に協力してくださった江後さん、宇津自治会様 本当にありがとうございました。
宇津の小学校は普段自分が通らないほうの道沿いにあり、本家wikiにも一切記載がない。江後さんにその存在を示唆されるまでさっぱり知らなかった。
いつもは曲がる道をまっすぐ進む。下見とアポはもうとってあるので内部への潜入はスムーズだった。
夏だ。 アブラゼミがこれでもかというぐらい木にくっついている
現役のころは、校庭で蝉取りをする子供たちがいたことだろう。
後で聞いたところによれば、夏にはこの横のあたりでお茶摘みを行っていたそうだ。閉校当時の在校生は卒業生を含めて32人しかいなかった。
ずいぶんこじんまりした校舎 横に校庭があり、前には更地が。
ポスト なんでここに
(閉校当時にここの在校生だった方によれば、昔は旧校舎の玄関に置かれており、「昔のポスト」の展示物として利用されていたそうな)
今でも田舎に行くとこれが現役な場所がある。
さて外はこのくらいにして潜入。 …って暑いな。(そりゃあ8月上旬の密閉された建物内が暑くなかったらおかしい)
危険な廃墟でもないのでシャツ一枚で取材させていただく。
子供と大きなおともだちで目的が異なるアニメ
作者自身そっちの気があるらしいね。
蝉の声があれだけ響いていたのに、中に入った瞬間急に静寂が訪れる。
机がすごく小さい
今思うと低学年ってほとんど幼児と変わらないよなあ。
自分が小学1、2年の頃は高学年や中学生がものすごい大人に見えたものだ。
とりあえずトイレから。おお懐かしい
保健室や図書室の前、手洗い場でよく見かけたこの手のポスター。
その隣の教室に入ろうとしたが開かないのでもう一つ向こうに入る
…史料室?
こういうのって貴重なんですよ 本当に。
よくぞ捨てないでいてくれた。
これによると今残ってる建物は別棟で、本棟(旧校舎)は取り壊したようだ。
維持費の問題がらみで壊したんだろうか。
文集の山 ほとんどの年間文集がそろっていた。
卒業してからわかるありがたみ。
それにしても書籍に真夏の直射日光は酷なんじゃない?
卒業生たちの落書き
「おばけ」出るのか 学校に出るおばけなら私は大歓迎だ。
階段わきの小部屋
たぶん物品庫だろう
殺風景な景色だが、勉強部屋としてはけっこういい感じ。
学校の階段はどこも解放感にあふれている
夏の昼下がりの、ゆったりとした光加減がなんとも私好み。
とりあえず右側の部屋へ
家庭科室のようだ。
取り払われた机と配管跡 普段は見れない光景だ。
この宇津小学校は平成16年に閉校し、周山、細野小学校と統合され京北第一小学校になったという。
黒板や電気設備からみてもそんなに古くない建物だけに、転用されていないのが惜しい。
あったなあこういう馬鹿でかいはかり
軽くて小さいはかりがあるし、もう使わなくなっても高いお金を出して買った備品なもので、いつまでも置いておかれるんだよね。こういうの。
体育館が見える。
現役だったころは正面に本棟が構えていたんだろう
体育館の影でユンボがなにかの作業をしていた。
向かい側は二部屋
一つは教室
こういうところで一日過ごしてみたい。
この日は小学校前の道を挟んで向い側にある地区の集会場で、丁度トライアスロン少年団の合宿が催されていた。教室に入るとかすかに児童と先生たちの声が聞こえる。カーテンの向こうから、歓声のような響きがカヤカヤと…
そのせいだろうか、ふと振り向けば廊下を子供たちが走りまわっているような錯覚をおぼえる。廃校取材時独特のトリップ状態だ。学校が現役だったころと、廃校になった時代が混線してしまったような…。自分だけが虚像の校舎をさまよっているような…
そんな妙な孤独感が去来する。
微妙に平衡が崩れているけど、光が好きなので載せる
こんな本をよく図書室やら移動図書で借りたものだ
私の世代は、ポプラ社の『学校の怪談』シリーズが人気だった。
今はどうなんだろう。『怪談レストラン』のほうが有名なのかな。それももうかなり古いかも知れない。
『学校の階段』は最初、挿絵の画風が面白くてはまった記憶がある 前嶋先生、お元気だろうか
少しいじってみたが鳴らなかった
使ったらフタを閉めなさい。
さて最後は理科室。
物品がほとんど残っている これは素晴らしい
というより、懐かしい
机になぜかメーターが
授業説明用?
謎の実験器具が大量に眠る
何に使うんだかさっぱり。
理科実験用具類の需要は明らかに教科書要綱の削減、または増加に左右されている。なんとも哀れだ
窓際の棚
アルコールランプとガスバーナー
アルコールランプはホラーやサバイバル系の作品である程度需要ある気がする。ガスバーナーは持ち運びできないしな
模型 隣に耳のも
歯はまだいいが、耳の模型はなんとも気持ちが悪い。
最初に解剖して調べた人はすごいとしか言いようがない。
食塩を溶かす実験、しましたね。
もう一つのビーカーでホウ酸を使って、飽和量の違いを調べて・・・
光の加減がとてもいい
次に教卓
正しい鉛筆の使い方 細かいなあ
正面棚
こんなに大きいと小学生では台を使っても取れないだろう。 特に最上段は
顕微鏡 備品の顕微鏡はみんなこういう木の箱ですね
望遠鏡と顕微鏡
やってることは真逆でも、何か通ずるものがある。
左はサイフォンだろうか。 右はなんだ?
あの瓶はなんだ 真空瓶?
手前の傘のようなものは天体学習用
ガス管はねこそぎ抜かれていた。 当たり前といえばそこまでだが
子供会のレク会議でもしたのだろうか
細かいもの棚
リトマス紙やマッチがこういう場所に入ってるのは理科室の常道。
うちの小学校にもあったな これ
ケースのザラザラ感に病み付きになったものだ。
理科室名物人体模型さん。
顔がないほうが怖いんだが
…で、なんで人体模型さんは男だけなの。 ねえどーしてどーしてー
酸素の発生実験は小学校で習っただろうか? 中学校ではなかっただろうか。
もしかして自分にゆとり補正がかかってるだけかもしれない。
えーと 二酸化マンガンとオキシドールで、二酸化マンガンは触媒(?)だっけ
理科室はここらで終了。
…暑い
じゃあ涼しめの画像を
コンデジでは遠近感がうまく出せないな… 無念。
別棟は小さいので見られる場所はこれくらい。更地になった本棟の向こうの体育館へ行く。
トイレ
林間学校風
この向こうには校舎があったのだろう
そして体育館
御多分に漏れず、地域団体の活動場所になっている。
集会所のほうが新しく設備も充実もしているので、こちらはあんまり使われていないようだが。
小学生のときくらい、おもいっきり山や海で遊んだらいいと思う。
じゃないと本当に後悔する。
恒例の校歌
一番の終わりの歌詞はどうなのか。(中学生並の発想)
用具庫
跳び箱が顔文字に見える。
蝉の声が絶え間なく響く。
中には、体育館の中に入ってくるものも。(死骸があったので…)
しかし暑い。 密閉されていたためか、外のほうが幾分かましな位だった。
ちょっとしたスペースが存在するが、昔はここに保育園があり(今は下の「ふれあい会館」前に存在)
その後は取り壊されて教員の駐車場として利用されていたそうである。
ちなみに体育用の校庭はこの左側にある。 以上で今回の探索は終了 理科室とカーテンの光が魅力的な場所だった。
取材に協力してくださった江後さん、宇津自治会様 本当にありがとうございました。
この前は、去年行った長野県飯田市の旧「木沢小学校」もお気に入りです。