涌元地区家紋の分布は、木瓜が最も多く、ついで隅立四ツ目、三つ葉柏、五三の桐。


『飛び鶴の丸』

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意外にも家紋辞典には未掲載 三日月のような曲線が美しい家紋


『日蓮宗橘』

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涌元地区には日蓮宗のお寺がある。
そこの檀徒の家であろうか


『七曜』

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「星」と「曜」の違いは大きさだけなのだろうか


『丸に桜』

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桜の家紋は梅より少ないように思える
天神信仰や加賀家が全国に散らばっているせいなのか。

…しかしこの紋、いじわるな見方をすると五つ片喰に見えなくもない。


『八重桜』

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私事ですが、自宅の裏にも八重桜が植わってます。


おおこれはすごい
『浮線板屋貝』

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板屋貝はホタテに似た二枚貝 貝の筋目が板葺屋根に似ているからこの名前がついたそうな。
板屋貝の家紋は珍しい。こんな近くにあったとは不覚


『丸に一つ蓮の花』

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蓮家紋もなかなか見かけない。
原産地はインドで仏教の伝来とともに伝わったともあって仏教とは切っても切れない関係にある。

もしかするとこちらも例の法華さんの檀徒家かもしれない


『楓桐』

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家紋にはこのように違う種類のものを桐型に整えたものがあり、これもその一つ
しかし実際に見るのは初めてだ しかも家紋として使用例は少ない楓ででくわすとは幸運。

※楓は紅葉して落葉する様子を嫌ってか、紋としてはあまり人気がない



さらに足を延ばして小谷石地区まで

小谷石は『道南の秘境』と言われる場所のまっただ中にある。 周りは断崖絶壁に囲まれ、人々は海岸線に形成されたわずかな平地と小さな沢のへりに家を構えて暮らす、まさに陸の孤島のような場所である。
近年道路が整備されるまで、本町へ行くには舟を使わねばならなかった。

戦後まもなくまでは漁業と海運がさかんであったため、それなりに栄えた場所であったが昭和48年の集中豪雨により土砂崩れによる大災害が発生。
これにより集落の人口は半数近くにまで減少、限界集落の体をなしつつあるが今ではそんなことがあったとは思えないほど長閑で静かな港町になっている

お墓は沢上のわずかな平地にある。

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向こうの斜面に改修工事の跡が見える。

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この大災害を受けて、北海道内でも沢や急斜面の整備が進んだことはなんとも・・・


さて本題、家紋
多数派は多いほうから藤系、隅立四ツ目、木瓜、三つ葉柏、そして五三の桐、一段多さの格が下がって違い扇。

アルファベットの屋号がまたあった

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調べればけっこうあるものだ。


『丸に違い扇』

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この地区で割と多めの家紋である
ヨサコイの鳴子に見えた。


『徳川葵』

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なんでこんな場所にこれが・・・


『抱き稲に橘』

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『陰九枚笹』

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『七つ蛇の目』

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蛇の目といってももとは弓の弦をとめるのに使用した蔓や籐製の器具を意匠化したものらしい


この墓地より上に行くと、旧矢越小学校がある。

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その歴史は1982年6月12日、小谷石神社を仮校舎に知内小学校の分校として開校したことに始まる。
最初の教師であった東津軽郡中野村出身の田中業氏は教師としてだけではなく、開校にも大いに力を尽くし、開校翌年の校舎独立後は初代校長になったと聞く。
1928年には高等科が設立され、昭和16年に国民学校となり、戦後昭和22年に矢越小学校となる。
昭和27年に校舎移転改築の際には児童教員のみならず、地域の住民たちが船で運ばれた建材を運んだと伝わる

しかし児童の減少により平成7年に閉校。
その後は地域住民の松崎氏によって山小屋「矢越山荘」として使用されている。


奥には教員住宅?

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最後に涌元の火力発電所附近の海岸を
また右肩が上がっている写真を・・・

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