函館の高龍寺といえば市内最古の古刹であり、三門の見事な彫刻は見るもの普く驚嘆する出来栄えで東北以北最大の三門と謳われるほどであるが、昔からこの寺の本堂須弥壇の後下に百余歳にもなる貉(むじな タヌキのこと)が棲んで、色々奇怪な振る舞いがあったと伝わっている。

明治の始め頃までこのお寺は弁天町の、現在の鍛冶町の下姿見坂と幸町の間にあった。
その頃には既に境内にこの貉が住んでいた。ところが高龍寺の方丈:国下海雲師は無類の博打坊主で、その日も今日こそはと意気込んで出かけた賭博場も相変わらず目がでず、スッカラカンに負けて帰ることとなった。
そして、かねてより知り合いだった貉に向かって「これに懲りたからもう博打をやめようと思うんだが、それにつけても今までの負け分と借銀が山ほどあって困ってしまった。だから足を洗う前に一遍だけでいいから勝たせてくれ」と頼んだ。
貉も長いこと住まわせてもらった恩もあるので、一度だけという約束でこれを呑んだ。


ある夜、和尚は港の燈明船の赤船に乗り込んだ。するとこの約束の力を借りたか、やる勝負もやる勝負も和尚のバカ勝ち。おかげで借金を返せるだけのお金も手に入り、一方で貉との約束もきちんと守って博打を金輪際やめたという。



この貉もなかなか義侠心と茶目っ気のあったようで、ときどき寺を抜け出しては夜鷹蕎麦屋を木の葉金で騙して蕎麦を食ったり、遊郭に通って嫖客になったりした。
明治12年の大火の際は青年の姿になって寺の荷物の運搬を手伝い、この大火によって高龍寺が今の位置にやってきたときも一緒について来たのだという。



参考文献

渡辺茂編/著 『北海道伝説集・和人篇』 楡書房 1956
南北海道史研究会/編 『函館・道南大辞典』 国書刊行会 1985