北海道には「精進川(しょうじんがわ)」と名の付く川がいくつかある。
南茅部町、鹿部町、七飯町、蘭越町、そして札幌市周辺・・・など、分布は道南地方に多く、南茅部の場合川名の由来譚が伝わっている。


―享保年間のころ、川汲(かっくみ 南茅部の古称)に良俊という遊行僧がやってきた。川の上流に庵を結び、日々読経と村々へ布教をなしていた。
ところがあるとき山帰りの若者たちが、良俊が山グミの塩漬けをおかずに弁当を食べて居る姿を目撃した。
「あの乞食坊主は口では立派なことを云うくせに裏では隠れて鮭の筋子を食っていた。とんだ生臭坊主だ」
若者たちは村中にそんなことを言いふらしたので、たちまち村人たちは良俊を罵りはじめた。
あまりに迫害が続き、良俊も遂には「罵るならいくらでも罵るが良い。私が行ってきた仏道修行は本物だ。その証拠に、以降この川に魚と云う魚は一切いなくなるだろう」と云って立ち去って行った。
彼の言葉は決して負け惜しみの捨て台詞ではなかった。
果たして、鮭はもとより川魚の類もことごとく川から消えてしまった。こういったことから、その川を「精進川」というようになったという。

「精進川」という名は見受けられないが、江差の椴川にも類似譚がある。
菅江真澄の『えみしのさえき』に載る話で、寛政元年(1789)4月25日、地元の漁民から採取した話だという

―ある年の秋、遊行僧がやってきてワリゴ(弁当箱のこと)の飯に塩漬けにした山グミを載せて昼食をとっていたところ、通りすがりの人がそれを見ると軽蔑してこういった。
「この法師は筋子を食っている。あきれた生臭坊主だ。飯を与えるな、宿を貸すな、みんな見ろ見ろ」
男がこれ見よがしに叫んだので、どれどれと村衆は集まって来た。
当然僧は「これは山グミだ」と弁解したが、誰も聞く耳を持たず口々に罵り軽蔑の視線を向けた。
法師は遂に怒り「これほど骨を砕くが如き苦心した修行を笑うならば笑うがよい。お前たちに今に鮭一つ取れないようにしてやる」と言って川の上流へのぼり懐紙になにか書いて川へ流した。
以降この川では鮭の取れる事はなくなった


「山グミ、村衆に食べさせりゃ済む話じゃね?」という疑問はさておき
「精進川」という地名の由来を考える際、主に4つ有力な説を上げられる


・1 「魚がいないこと」が「精進」に通ずることから「精進川」とついたという説。
遊行僧の伝説は、この説に付随するものとして作られたものであろう。

・2 アイヌ語の「オソウシィ(川尻に滝がある所)」が「オショウシ」と解され「精進川」となった説。
札幌の精進川は豊平に位置するが、『豊平町史』には「川が豊平川に注ぐところに滝が有って魚がすまなかったので精進川と称した」とあるが、これは「精進川」という当て字を見た後の人が勝手に理由づけしただけに思う。
ちなみに日高山系には於曽牛山(オソウシヤマ)という地名が同じ由来とされているがこちらは元の発音のまま残っている。

・3 神域の川という意味で、これより先に立ち入るにはここで禊や潔斎をしなければならなかったという宗教的見解である。
柳田国男は精進川と三途川(さんずのかわ)、そして葬頭河(そうずか)に、これらは同じ意味であってかつ転訛関係があると指摘した。

・4 石油の古語である「臭水(くそうず)」が「そうず」に訛り、結果的に「精進」になったというものである。
おなじく菅江真澄の『えぞのてぶり』、寛政3年(1791)5月29日に上記の南茅部精進川の記述が載っている。
―この川の底は石畳の様に堅く、出で湯の流れだからか、それとも石脳油が湧き出るためか魚がいない。
それでシャモ(和人のこと)は精進川というのを訛って「そうず川」と誰でも云って居る
この川をさかのぼると窟が有ってそのほとりには石積の塚が有る。昔、ここに修行僧が住んでいたということだ。

ここで修行僧と呼ばれている人物が上記の伝説の良俊であるかはわからないが、非常に似た導入の仕方だ。
また精進川の地名が残る鹿部、南茅部などが位置する横津岳、北海道駒ヶ岳一帯、そして蘭越町付近は活発な火山帯で今もなお活動を続ける土地だ。
その湧水は硫黄分や鉱泉を多く含んだ毒水、強酸水になっていたりで魚がすめない河川が多く存在する。
実は江差の椴川も、上流には鉱山がある。
「石脳油」とはもちろん「石油」のことで古語ではこれを「臭水油(クソウズノアブラ)」と呼んだ。
俗称では「クソウズ(臭水、臭生水、草生水)」などとされ、これを秋田県や新潟県ではよく産出したので各地に「草水」、「草生津」などという地名が残っている。
南茅部精進川の「ソウズ」も、この「クソウズ」から語源を探ることができると考えられはしないだろうか。


参考文献
中島峻蔵/著 『北方文明史話』 北海出版社 1942
菅江真澄/著 内田武志/翻訳 宮本常一/翻訳 『菅江真澄遊覧記』 平凡社 2000
脇哲/著 『新北海道伝説考』 北海道出版企画センター 1984
江差町史編纂委員会/著 『江差町史』 江差町 1997