狐と言えば九尾の妖狐を代表に妙な術を用いて人を騙すことで有名だが、なんと蝦夷地の狐は人を化かさなかったという。


江戸年間にもなると蝦夷地に関する書物が多く出版されるようになったが、その中にしばしば蝦夷地の狐のことについての記述がみられる。
1800年ごろに書かれた温井享の『蝦夷広覧』には「松前、函館などの蝦夷地の狐は、性愚鈍にして人を誑かすことはなく人を恐れない」とそこらへんのイヌ畜生と同列に扱われてしまっている。
また幕末、嘉永年間の『松前方言考』には「蝦夷山林に棲む狐は昔より人を化かしたことはない」ともある。

しかし、『東遊記』には「化けて人を誑かすこと、他国と等しく話多し」と書いている

どちらが本当かはわからないが、明治以降の聞き取りや体験談を見ると維新以降は化かすことが多々あったようだ。
『きこないのむかしばなし』を読むと、狐に騙された話だけで半分以上がしめられている。
「さんこギツネ」といえば昔、木古内では知らぬ人はいなかったくらいであった。狡猾な雌ギツネで、夜な夜な生娘に化けて男を騙しては持ち物を奪ったり、淫行に及んだという。

人が渡ってきたことで狐も知恵をつけたのだろうか。


蝦夷地に和人が定住し街を構えるようになったのは平安~鎌倉時代、勢力を増し始めたのは室町期とも言われる。

神や妖怪という存在は人がいて初めて生まれ得る存在だ。観察者が不在ではそれにまつわる体験談も物語も発生するはずもない。蝦夷地の狐が人を化かさないと云われたのは、単に妖狐譚を作り出す人がいなかっただけということではないだろうか。

蝦夷地の狐は人を騙さない。騙すのはいつでも人であったのだ。


参考文献

木古内町ぐりぐら会/編 『きこないのむかしばなし』 著者に同 2000 
脇哲/著 『新北海道伝説考』 北海道出版企画センター 1984