※その1から続き
アーチ型受附(?)を内側から
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会計も兼ねていたようだ。
ソロバンが家庭に常備されている時代はもう帰って来ない。

ガラス製品の山 
飴細工のようにも見える
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スポイト状ガラスの正体は昔の目薬。

蜘蛛の巣がこんなに美しいものだとは思わなんだ。
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薬剤の形が面白い。機織りの飛び杼のようだ。

時が止まった場所にも朝は来る。
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こんな光景が平成の時代まで残っているなんて…

調剤机。笠に模様入りの電気スタンドって影ができて邪魔くさくないのかな。
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水にしか見えない物が入っている薬瓶も多々ある。変質した薬剤なのだろうか。

空瓶は投薬用?
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時間がないので、調剤室はこれほどに
奥の生活スペースに進む。
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先ほどの廊下を進む途中に階段があったが、時間の関係で二階は見れず仕舞いに。

廊下に神棚が。…と思ったが、ここは生活スペースでの玄関正面にあたる。
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なかなか立派だが、神札の類は見当たらなかった。
人が住まなくなったタイミングで取り払ったのだろうか。

突き当りにカマドが立地。煉瓦でつくられたものは西洋ベッツィとか言うらしい。
すごいね。 表は当時そのままの状態で残った診療所、奥はカマドの家屋。
天然民俗資料館状態じゃないか。
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釜もそのままとは恐れ入る。 本当に人だけがいなくなったような場所だ。

上は梁がむき出し。
どこの日本昔話ですか?
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真中の緑色っぽい光は天窓(!)です。

酒や食器もまるごと放置状態。
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…奥の瓶はもしかしてマムシ酒か。

カマドと居間はつながっている
今薬差しなんて使っている家あるのかしら
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昔は家にも黒板があったもんです。連絡用に、予定用に。
現在は肝試し屋たちの落書き板になっている。
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1964年のカレンダー
黒板には1965年の文字があり、この家から人が消えたのはその辺の年代だと思われる。
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壁には集落の商店街のポスター、電話表、汽車時間表も。
生活の姿が見て取れてありがたい。

居間の反対側にはトイレなどの水場。
おお、番傘だ。
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番傘は持つ方を上にして置いておくと油紙を食べようとしたGが入り込んむので、いざ使うときにGの雨をあびるという悲惨な目に遭うこともあったとか。


トイレ
やはりというか、ボットンで当たり前。
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「汚いもの見せるなよ」という諸君。これはストロボだから汚いんですよ。

自然光で撮ればほら。
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トイレとは思えない美しさ(?)
題材が良いとカメラの腕なんて関係ないからありがたい。

その奥には風呂。ってなんだこれ?
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清掃や風呂上りに使う薬剤でした。そして肝心の風呂を撮り忘れた…
まあよくある、深くて狭い四角い昔の風呂そのものでした。

これはなんぞや
お風呂グッズを掛けて置く?
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デザインはたぶん安芸の宮島。

隣に温度計。
廃屋の温度計は案外壊れず残っている。
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風呂場から炊事場が見える。
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やはり朝日効果が素晴らしい。

炊事場から外に出られるので向かいの蔵へ。
廃墟の蔵がナマコ壁ってどういうことだい。
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庭に木があり、また裏がすぐ山であるため野鳥がよく飛来する。 
時折近くの人の気配もするので淋しいことはまずない

なぜか唐箕が。
…ここってお医者さんだったよね?
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草履が当たり前の様に転がっている。
本当にお金があったらすぐにでも郷土資料館にできそうな物件だ。
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こういう蔵は二階があるはずなんだが、階段が見当たらない。

笊や籠という日本常民の遺産に埋もれて、薬瓶が大量に眠る。
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アンチークマニアが狂喜しそうな場所だ。

奥に地球瓶。
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謎の暗号
ささぎで酒かなにか造る積りだったのか?
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はえとり紙じゃないよ。
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軒丈がかなり低い。
自分は頭をぶつけてしまった。 興奮すると頭上がおろそかになるクセは昔からです。
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あのトラックに接続できる荷台的なものは4大田舎の道端に捨てられているものに入りますね。いい景色ですよ 本当に。
残りの3つ?
車、一昔前の家電、肥料の袋  そんなところ。

こんなところにも薬瓶が当たり前の様に捨てられている。
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隣の入口から
ランプの中身は誰かが持って行ったようだ。
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この入り口付近に階段を見付けたが、なにか不穏な空気を感じたので登らなかった。

その隣は離れ
おお・・・。
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ここに来てからというもの、朝日の存在感に圧倒されっぱなしだ

入り口にこんなものが残っていた。修正済みなのであしからず
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時間があればこの廃墟のいきさつも調べたかったのだが・・・

光と空間の見事さに夢中になって写真を撮り続けた。
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廃墟は朝か夕方ですね。機能的、魅力的に

一番奥の小屋。
この小屋だけやたらピントが合った写真が撮れた。餞別?
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残留物と、光が作る光景にただただ圧倒された廃墟であった。

これは桜か。
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気づけばすっかり日も高くなっていた。
帰ろう。友人が待って居る。

これでもまだ充分探索しきれていないどころか足を踏み入れてすらいない場所もあるこの廃墟。実に魅力的な場所であった。特に朝日と薬瓶が作る光の美しさは至高の一言である。
時間がないのにずいぶんと泣かされ、もう一度来たいところだけれどもう来れることはないと思う。金も暇もない。某サイトには場所がデカデカと載っているし、これから荒らすに荒らされるであろうから。
(追記 とは言いつつ翌年二度目の訪問をすることになった。結局二階には上がらなかったが、やはり荒らし屋さんが入り込んだようで診療室の中身がかなり無残なことになっていた)


以下わずかながらこの廃墟に関連する歴史の端を記述して、結びとさせていただく。ただあまり「これだ!」という話を発見できなかったことはご容赦願いたい。

この廃墟が立地する市町村の史誌にはこんな文が出て来る。 要約すると
「明治初期に徳島県でも例外なくコレラをはじめとした伝染病の大流行が起こった。よって明治30年には市町村に予防委員、衛生組合の設置が義務付けられ、伝染病隔離病棟の設置の主体は市町村によって行われた」
この診療所がある集落にも大正9年7月に隔離病棟が設置。昭和7年8月には全面改装されて二棟になったとある。これがこのF医院と関係あるかは定かではないが、委託医師として兼任していた可能性は十分にある。
また、続けて
「徳島県はシーボルトの高弟:高良斎、美馬順三二名を輩出し、藩校内に全国で初めて(寛政7年)医師学問所を設置した程医学に対して関心の高い地域であった。
戦前にはすでに無報酬で診療を行う慈善病院:好生社病院があって、医師や看護婦、産婆の研修場所としての面もあった。 明治以降ぞくぞくと医師が増え、明治40年には○○(F医院のある地域)医師会が発足。太平洋戦争が始まると、医師会はいったん解散し翼賛体制に倣って地域ごと5つの組に分けて医師会として存続した」
とある。
実際この診療所内に、翼賛体制下を匂わせる団体名を使った書類があった。そして市誌の5ヶ組内には、この集落の名も出てきている。
この診療所を開業していた医師は東海地方出身であり、東京の研究所から明治43年に赴任している。上記のような徳島県の医療に対する熱意に惹かれてはるばるやってきたのだろうか。
定かではないがいずれにしろ、この医師はS診療所のO氏とは違い、明治43年から昭和40年ごろ亡くなるまでこの地で診療にあたっていた可能性が高い。