岐阜へ行くついでに徳島(「ついで」ってなんだっけ?)まで来たわけだが、時間がないないと言いつつ半日以上暇が開いてしまった。
もう数年はこれないだろうと思ってた四国。我が愛しの四国。 これで終われるわけがない。

こちらも木造で、立派な意匠が残る病院廃墟。香川県は高松市、通称牟礼病院である。(物件の歴史的な詳細事項は最下部に記載)
※2015年9月23日追記
解体されたと情報をいただきました。
無念…

噂によると琴電某駅裏すぐにあるらしい。かなり人通りのある場所とも聞いた。
しかしそんな戦前の面影漂う廃病院が、「開発してください」と顔に書いているような場所にあるわけがなかろう。
「駅裏すぐ」なんてよくあるレトリックにすぎん。
…と思ってたが、甘かった
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ええと… 本当にこの建物なの…?
街のド真ん中やんけ。

ホテルや商店、家屋系廃墟にはこのパターンを良く見かけるが、たいていすぐに開発解体されるのでそのほとんどが長くとも10年ほどの寿命しか無い。そう考えるとこれは実に珍しい。

戦前の建築には根に美学が座っていると思うのだ。
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わかりにくいが、正面の壁に『丸に梅鉢』らしき家紋があしらわれている。

玄関。かなり荒らされている。
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隣に持ち主が住んでるというのに荒らすとは恐ろしい度胸だ…。

受附。学校か博物館のようだ
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日差しがすっかり春である。
ノスタルジックな雰囲気と、春の陽気の組み合わせ。 実にいい塩梅ではなかろうか。
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黙っているとうとうとするくらい気持ちがいい日差しである。
四国の春は早い。

今や殆んどみかけなくなった旧式ソケット。キーソケットとか言うらしい。
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横から出て居る「アレ」を回すことでスイッチが入るのだ

玄関をはさんで向かい側
薬局だったのではないだろうか。棚や机から見て
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とりあえず受付側の部屋から見てまわる。
これはまたなんて光景だ
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窓がいい仕事してくれてる

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しかし、ガラスの破片に気を付けねばならない
景色だけみるような油断は禁物。

!?
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心霊さんや肝試し屋さんには御誂え向けの演出

手術室とは言っても物々しい無影灯や手術道具はなかった。
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清潔第一の手術室洗い場も、今や埃が層になり…。

大手術室内部。蔦の芸術再び
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左端のは工事現場でよく見る足場か?

夏には蒼々と茂るのだろうか。
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この部屋は土壁ではないかも 漆喰?

明かり取り豊富な空間
しかしすぐ外では車が盛んに行き交い、道路工事の威勢のいい声が届く。
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窓のすぐ向こうに現代。今がある。
ここは街中に残った異界だ
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例によって加工処理済み
テレビでもナンバーがボカシかかるようになったのはいつからだろう。中学の時、気づいたらうるさくなってた気がする。

向かい側の壁(雨戸だったのかも)は悉く吹っ飛んでいる。
よって駐車場、及び車道から丸見え。
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この機械はなんだろう。
発電機? ポンプ?


机が見えるのがさきほどの空間、おそらくは診療室。
良く考えたら、診療室のすぐ隣に手術室があるって患者にしたら恐ろしくないだろうか? 顔を上げると『大手術室』なんて看板が目に入る病室なんて、私ならたぶん涙目になる。
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まあ外科だったそうだし、シリツなんて日常茶飯事だっただろうから使いやすさを考えてのことだろう。
たぶん

ここはなんだったんだ?
施術用物品庫かなにか?
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床が抜けないころは、陽に当たるイスがいい感じの雰囲気を出していたに違いない

ここだけ暗くなる造りになって居る。
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なぜならこの部屋があるから 
霊安室じゃないよ・・・ 心霊さんはネタにして噂話を生み出すんだろうが
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レントゲンを現像するための暗室です。だから昔は暗室が各病院に必ずあったものだとか。
古い病院にはいまだに残ってるそうだが恐いだろうな…。

本当にすぐ向こうには日常空間がある。
時代のすきまに入り込んだかのようだ。廃墟を廻るとたびたび覚える妙な感覚。
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S診療所にあった机と同じデザイン?

謎の空間、反対側より
窓の外から見る診察の光景はどんなふうに映ったんだろうか。
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荒らし屋さんから生き残った蛍光灯。 ガラスはほぼ死亡状態なのによく残ったものだ。
雨戸もすべてはずされているので、もしかすると管理人自身が外したのかもしれない
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さすがにそりゃないか。

当時、診療を受けていた人はこの内装、デザインをどう思ったんだろう
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実際当時を生きた人より、後の世代の人の方が明治、大正ロマンだのと言ってるような気がする。
体験したはずのないのものに対して懐かしく思うこの感情の正体はなんなのだろうとよく思う。
ある種の憧れなんだろうか。

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さて、玄関に戻り反対側へ。

唯一まともに開閉出来る扉
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その向こうは…

静養室かなにか?
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白アリを思わせるおが屑と崩れ具合

駐車場側を貫く廊下
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全体的に微妙にものが残ってる

一番奥にはこんな部屋が
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棚の具合から見てここも薬品庫?
それにしては西日が当るか

向こう側が管理者宅。
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土壁の寿命は手入れがないと頑張って50年とも言われる
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この剥げた土くれも、見る人が見たら喜んで買っていくシロモノなのだ

今やこのタイプの蛍光灯照明すら姿を消し始めている
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古い蛍光灯はスイッチを入れると「パカッパン」って言いながら徐々に点く。
個人的に好きな音だ。
懐かしさ、けだるさ、緊張、いろいろと表現できる。 あの音だけで

薬局 と思われる部屋内部
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やはり棚、椅子、机以外ほとんど残って居ない

卒業式に校長先生や来賓の方々がお話しする台を思い出す。
またはオルガンかピアノ
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引き出しにおそらく薬包紙の類が入って居たのではなかろうか

見通し さきほどと反対側より
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正直玄関の床はだいぶ危ない

西端の部屋
控室とも思える
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200?
よくわからないが、ちょうどいいのでここから出る。

周囲は開発、道路拡張が何度も行われているようだがこの病院はそれにも耐えて今に残る。
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盛土はその工事のついでにやってもらったのだろうか。
大雨が降ったら水没しそうだ。

さまざまな脅威が迫りつつある中、あと何年ここに立ち続けるのだろうか
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古い学校にも通ずる、心躍るノスタルジックさが魅力的な場所であった。
二軒も極上の物件を探索し、お腹いっぱいモード。やはり四国はいいよ。四国は…

しかし次に来れるのはいつのことやら…



さて、最後に以下 この病院の歴史的な経緯について小まとめ。

「牟礼病院」とは、最初に述べたとおりあくまで通称であり、本当の名前は「鶴身病院」という。
昔は相当有名な病院だったようで、該当地域の市町村史には詳細にことの運びが記述されていた。こんなことは実に珍しい。

『牟礼町史』によると、この病院は公立の医院ではなく鶴身藤太という人物が開設した私設医院であった。
彼はこの村に生まれ、第六高等学校を経て九州帝国大学医学部へ進学。外科を志し、第一期卒業生として大学を巣立った後、当時の朝鮮釜山病院に赴任する。
そして大正元年に帰郷し、現地開業した。 面積1202.28㎡、建て面積304.99㎡、総工費にして一万円であったといい(現代の金額で約4500万 …多分)、これが今に残る通称牟礼病院である。

琴電塩屋駅ができたのはそれよりだいぶ後の事だが、当初から周辺の村々からも患者が来訪し、庵治や屋島、志度方面へも鶴身氏は俥で往診したという。
彼は医者のみならず村会議員、校医、漁業組合長(!)も務めた。

大正から昭和20年まで牟礼には鶴身病院を入れて二つの病院が並立して存在し、一方は内科の小松病院といった。しかし、鶴身氏も小松氏も昭和20年代初頭に没してしまい、以降鶴身病院は御子息と思われる方が引継ぎ、責任者としてその名が記録されている。

が、今の処いつごろに廃院したかは特定できていない。
管理者や近隣住民にお聞きすればすぐわかると思うが、聞きそびれてしまった。