(前回の野崎霊園の続き
清川寺は戸切地陣屋跡の麓にたたずむ寺院。
戸切地陣屋とは江戸幕府が頻発する外国船出没に対する警備をかためるため、松前藩に命じて造らせた城郭の一種だ。
しかしこの施設が戦闘に使用されたのは皮肉にも外国人相手ではなく同じ日本人同士の戦いであった。 明治元年、蝦夷地に上陸した旧幕府軍は箱館をめざし進軍の途中、現在の大野町にて陣屋守備隊と交戦しこれを撃破。守備隊は後退し、陣屋に火を放って箱館へ敗走したという…。
現在に残るのはその土塁や塁線、盛土やわずかな建造物のみだが、廃城となってまだ150年ほどだからであろうか。その構造が今でもハッキリわかるほど保存状態が非常に良好で、芝生に覆われたその盛土は美しいの一言につきる。
地味な場所だからと敬遠しないで是非一度訪ねてほしい。
墓地の崖から。
上の黒い影はレンズ内に侵入したホコリ
いい加減買い換えようかな…。
そんな歴史的背景のある場所だから、このお寺は彼らの菩提を弔うために建立されたのだろう。
…とか思ってたら違った。
かつてここには享保14年(1729)創建の地蔵庵と、文政11年(1828)創建の薬師堂があったが、いずれも御堂が壊れて大正11年に函館の称名寺が一時引き取ったあと、以前紹介した上磯町禅林寺境内に薬師堂を建てて収めたという。 よって現在の清川寺とはまったく関係がない。
清川寺自体は大正7年に曹洞宗説教所として開基されたものを昭和12年に題記寺号を公称し現在に至っている。
しかし、境内にはこの地を開拓した岡田文太夫や木村兵次郎の墓とその位牌が安置されており、まったく歴史と関係のない寺院というわけではないようである。
そろそろ本題にいこうか。
・『五つ鷹の羽丸に桔梗』
家紋辞典の鷹の欄にはこの家紋が別個に収録されていた。
どこかの有名家系の紋章なのかもしれない。
使用家は高堰さん。
・『三ツ藤巴』
巴型派生家紋の一つ
京都の京北町で確認してから、久しぶりに再発見した。
こういう形のクリーチャーがなにかの作品に出て来た気がする。「ぼくらの」?
使用家は小川さん。
・『三つ松に梅鉢』
こちらも松の項目に個別に収録されている。
墓石の色によって非常に見づらくなってしまった。申し訳ない。
こんな家紋である。
使用家は森さん。
・『丸に竹輪に九枚笹』
わざわざ丸をつける必要はあるのかって?
しかしそれが家紋というものである。 ヨソはヨソでウチはウチなのだ。
使用家は吉田さん
・『丸に三つ花菱』
手持ちの家紋辞典には未収録だったが、『日本家紋総鑑』にはきちんと記載されていた。
使用家は久保田さん。
・『中輪に五つ柏』
桜ではない。
しかし筋があるだけでこんなに印象が違うか。
使用家は三浦さん
おまけ
珍苗字さんの紹介
「阿坐上(あざがみ)」 「坐」の字はいわゆる外字である。
苗字検索サイトによるとなんと全国で「阿坐上」は9軒 外字のものになるとまさかの1軒だとか
たまたま「聞いたことない名字だな」と思って撮影しておいたのだが… 調べてみるものである。
北海道内には3軒があるらしい。
さて終わりに
この一帯には何故か心霊さんな噂がはびこっている。
地元の一部の者には上磯ダムや戸切地陣屋跡の奥にあるキリスト教徒墓地、そもそもこの陣屋跡が肝試しスポットとして扱われているのだが、いずれも噂と誇張の域を出ない程度の話である。過去に戦場になったという陰惨なイメージと、この土地に根付いたキリスト教の異質さが人の恐怖心や想像力をかりたてるのであろう。
最初に紹介した通り「陣屋内」で人が死んだ記述は見当らないし、戸切地奥地のキリスト教徒墓地も煽り文句の「隠れキリシタンたちの墓だ」とは嘘八百で、単に奥まった場所にあるというだけのごく普通のキリスト教徒墓地だ。
この地に眠る当人たちにとってはいい迷惑だろうに。
しかし、一つ思うことがある。
清川寺の裏手には道沿いに桜並木が伸び、普段閑静なこの丘も5月の初まり頃には花見の見物客でにぎわう。
「陣屋桜」と讃えられるその見事な桜並木は、明治37年に函館の呉服商が日露戦争の勝利を記念して植樹したものだそうなのだが、もしかするとこの桜を植樹したものたちの心の中には、祝賀とは別に弔いの意志があったのではないのだろうか。
立場は違えど国に報いた者たちが眠るこの地に桜を植えたという行為に、私はあの言葉を思い出さずにはいられないのだ。
それは古くから伝わる死者に対する畏敬の念とでもいうのか、潔く散る姿に武人の姿を思い描いたよりももっと蒼古な、日本人の心の奥底に眠るとても原初的な信仰を思わせる、桜の花の風に薄まって消えてしまいそうな儚さと、それでいて決して弱々しくはない、むしろ恐ろしいくらいの幽玄さの象徴ともいうべきな、
「桜の木の下には死体が埋まっている」という奇妙な伝承のことを。
清川寺墓地位置情報
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残念ながらお写真撮っていただけなかったようですが、当方の先祖の墓もございます。
竹に花菱です。家紋辞典には未登録だったと記憶していますが、苗字と家紋と当家の言い伝えからはルーツは丹波篠山になります。月並みな苗字のくせに確かに関西圏に多い名前です。
こんなに丁寧に家紋を追っていらっしゃる方がいると思わなかったので不躾ながら、そして肝心なところは匿名で恐縮ですがコメントさせていただきました。
隠れキリシタン云々というのはモロにその清川寺の住職が大好きな話題ですね(苦笑)。むしろ発信元といってもいい。
片田舎とはいえかなり古くからこの地におりますので、血脈のドロドロの方が実際にはコワイんですよ(笑)。
その清川寺の下に大きな一本道がありますでしょう?
実はあれにほぼ沿った形で断層があります。
もしかすると龍脈云々で地盤から電磁波でも出てるのが原因なんじゃないでしょうかね(汗)
三ツ藤巴が京都由来と拝見し、あぁやっぱり嘘じゃなかったんだな。と感慨深いです。
桔梗紋と言えば…。
自分も個人的にルーツを追っているので大変助かりました。
またお邪魔させていただきます。