明治元年、榎本武揚率いる旧幕府軍が蝦夷地に上陸した頃の話。


旧幕府軍は今の森町鷲の木付近から上陸し、箱館を目指した。
当時、箱館には既に新政府が箱館府を設置してこれを統治しようとしており、また松前藩も新政府側についていた。 新政府軍は今の七飯町峠下附近で旧幕府軍を待ち伏せし、これを戦端に両者は各地で戦闘状態に陥った。

数日間に及んだ戦闘の結果、旧幕府軍が勝利を手にすることとなった。 一方七飯村や大野村で敗れた新政府軍および松前藩兵たちは、戸切地の清川陣屋に逃げ延び戦況を立て直そうとしたが、ここにも旧幕府軍の手は迫っていた。
すでに陣屋の陥落は見えかけている。守将は考えた末、松前城のある福山へ増援の密使を送ることにした。


この密使が命令を受けて、富川の山道にさしかかった時である。
どこからともなく一人の美しい狂女が現れ、この密使にうるさくつきまとい始めた。 何をしても離れようとせず、密使は困りあぐねて、先を急ぐとてつい耐えきれなくなって刀を抜き彼女を斬って谷間に投げ捨ててしまった。

すると、どうしたことだろうか。

今まで至極まっすぐであった一本道が幾重にも曲がりくねって見え始めたのである。 そしてついには密使までも気が狂い出し、渓谷に足を滑らして転落死してしまったという。
それ以来、富川街道は幾々も曲がった山道になってしまい、今でも上に随って深い谷間の危険な道なのだという話である。






…以上は、上磯町の富川山道の謂れである。
この道は平野部から海岸段丘に突入する場所で、狭い道が幾重にも曲がりくねった大変険しい道である。
そんな地形の由来を説明するための伝説だが、なかなか興味深いものが有る。


江戸時代に書かれた『世事百談』には、「何となきに怪しきもの、目に遮ることありて、それに驚き、魂を奪われ、思わず心の乱れるなり。俗に通り悪魔に会うという」とある。
通り悪魔とは、人の心に入り込んで所謂「狂気」を生じさせると考えられていた妖怪だ。

同書はこう続く。

 「むかし川井某といへる武家ある時当番よりかへり、わが居間にて上下服を著かへて座につき、庭前をながめゐたりしに、縁さきなる手水鉢のもとにある、葉蘭の生ひしげりたる中より、燄炎々ともゆる三尺ばかり、その烟さかんに立ちのぼるをいぶかしくおもひ、心づきて家来をよび、刀脇指を次へ取りのけさせ、心地あしきとて夜著とりよせて打臥し、気を鎮めて見るに、その燄のむかうなる板屛の上より、ひらりと飛びおりるものあり、
 目をとめて見るに、髪ふりみだしたる男の白き襦袢着て鋒のきらめく鎗打ちふり、すつくと立ちてこなたを白眼(にらみ)たる面ざし尋常ならざるゆゑ、猶も心を臍下にしづめ、一睡して後再び見るに、今まで燃立てる燄もあとかたなく消え、かの男もいづち行きけん、常にかはらぬ庭のおもなりけり、かくて茶などのみて何心なく居けるに、その隣の家の騒動大かたならず、何事にかと尋ぬるに、
 その家あるじ物にくるひ白刃をふり廻し、あらぬことのみ匐り叫びけるなりといへるにて、さては先きの怪異のしわざにこそとて、家内のものにかのあやしきもの語して、われは心を納めたればこそ、妖孽(わざはひ)隣家にうつりて、その家のあるじ、怪しみ驚きし心より邪気に犯されたると見えたれ、これ世俗のいわゆる通り悪魔といふものといへり」
 (川井という武士が勤めから帰って庭を眺めていたところ、茂みから約3尺もの炎が燃え上がっていた。不審に思って、家来に武器を取り退けさせしばらく横になった後に気を静めてみると、塀の上から白い襦袢を着た男が髪を振り乱し、槍を振りかざして現れた。 さらに気を静め続けると、炎も襦袢の男も消え、庭はいつもと変わらない様子だった。
 川井がやっと落ち着いて茶を飲んで過ごしていたところ、隣の家で騒ぎが起きた。主人が乱心して刀を振り回し、暴れ始めたとのことだった。 川井は家の者に「あの襦袢の男は通り悪魔であり、自分は気を静めたので無事に済んだが、通り悪魔は隣の家へ移り、それに気が動転した隣の主人が乱心したものだ」と話したという


 「四谷の辺類焼ありし時、そこにすめる某が妻、あるじの留守にて、時ははつ秋のあつさもまだつよければ、只ひとり縁さきにたばこのみつゝ、夕ぐれのけしきを眺めゐたるに、焼後といひ、僅のかり住居なれば、大かた礎のみにて草生ひしげり、秋風のざわ〱とおとして吹き来たりしが、その草葉の中を白髪の老人、腰はふたへにかゞまりて杖にすがり、よろぼひつつ笑ひながら、こなたに来るやうすたゞならぬ顔色にて、そのあやしさいはんかたなし、
 この妻女心得あるものにて、両眼を閉ぢ、こはわが心のみだれしならんとて、普門品を唱えへつゝ心をしづめ、しばしありて目をひらき見るに、風に草葉のなびくのみ、いさゝかも目にさへぎるものさらになかりしに、三四軒もほどへたる医師の妻、俄に狂気しけりといへり」 (『世事百談』四より)
 (江戸、四谷一帯が火事で焼けることがあり、そこに住んでいた夫婦の妻が、ある秋の日の夕暮れに縁側でくつろいでいたところ、腰の曲がった白髪の老人が、杖を突いてよろよろ歩いて来て、怪しい笑い顔を浮かべていた。
 妻は「これは自分の心の乱れだ」と考え、目を閉じて心を鎮めてお経を唱えた。しばらくして目を開くと、老人の姿は消え、もとの野原であった。 しかし、近くに住む医師の妻が、急に気がふれてしまったという


このように通り悪魔とは急に現れて虚をつき人の心を乱れさせるそうだが、気を確かに持って落ち付いて対処すればおのずと消えるという。

昔の人はどうも「狂気」を伝染する「憑きもの」と捕えていたようだ。
「七曲狂女」もそんな憑き物譚の一種としてよいだろう。 狂女に憑いていた何らかの憑き物が、焦って恐慌に及んだ密使に憑き心を乱れさせたのである。 或は、狂女の念自体が密使に憑いたとも考えられなくはない。


精神世界に起こった異変が、現実まで侵食するという展開は、現代の怪奇小説に通ずるものがあってなかなか新鮮である。





下が富川山道の位置になっている。


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