久しぶりの家紋調査更新です。

…といっても夏の間にストックした分を投下していくだけの簡単なお仕事ですが。



前回の静浦地区のお隣、茂草(もぐさ)地区から。
地名は『蝦夷地名考幷里程記』によるとアイヌ語の「モムチャ(小柴の流れ)」からだというが、元禄13年の『松前島郷帳』には「もくさ村」と「のしの下村」の2村があり、文化6年の『村鑑下組帳』には「茂草村、古名は志のした、即志のした川之向ニ有之」とある。
江戸前期までは現在の茂草川の名が「志のした川」であり、「茂草」はこの「志のした村」の領域が広がった後に生まれたものだと思われる。

現在は静浦と連続した街並と、その北側にある茂草川の河口周辺に開かれた集落をまとめた名前となっている。

また松前―上ノ国国道はバイパスが通った結果、架下何十mもあるような大きな橋がいくつも建ち、その下に集落があるなんて場所も多々存在する。
この茂草集落は、松前側から北上した場合初めて通過する高架下の集落でもある。

しばし車を停め、て橋の下を覗いてみるのも楽しいかもしれません。…ただし橋からゴミを投げ捨てるのは絶対にやめましょう。



墓地は高架手前の高台に。
牧場のような雰囲気。

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松前小島が見える。

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『向い山桜』
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『大和桜』や『変り山桜』に似ているが、これは雄蕊の数が一枚の花弁に対して五本なので『向い山桜』

使用家は岩城さん。



『丸に剣梅鉢』
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ありそうでなかなか発見できない家紋の一つ。
…いや、以前福島町の墓地でも見かけた様な気が。

上の図はかなり見にくいのでこちら参照↓

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使用家は飯田さん。





『丸に中陰光琳蔦』
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「光琳」系家紋の中で最もよく見かける。…というよりほかを全く見かけない。

使用家は吉(士ではなく土の字)田さん/川合さん




こちらは家紋ではなく屋号だが一応紹介。カネ…?
Φはよく見かける記号だが読み方不明。これが縦線ではなく横線だと「ワドオシ」と読む例があるのだが…

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使用家は堀川さん。






次、清部集落。
以前別記事で取り上げた清部小学校がある場所である。墓地は小学校隣の小道に存在。

清部の由来は『蝦夷地名考幷里程記』には「キイウンペ(茅芳等のあるところ)」、『北海道蝦夷語地名解』によると「菅茅の類多きところ」となっている。
もとはアイヌの多い場所であったが、天正~慶長頃に津軽・南部衆が移住し、砂金採取、炭焼きを行ったのが和人定住の祖であると『函館支庁管内町村誌』にはあり、また最初の移住者は西沢弥五右衛門だともいう。(『北海道巡回紀行』より)

清部も他の周辺集落と同じく古くから漁業が盛んであり、イカ、昆布、鰊などの漁で住民は生計を立てた。 寛保元年の松前大島噴火に伴う大津波では村内ほぼ全滅の憂き目に遭っている。



『丸に三つ引き』
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換気口、もしくは甲虫の腹。
いまだに二つ引きと三つ引きしかみたことがない。

使用家は尾坂さん。




『八重桜』
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使用家は佐藤さん。



清部や次の江良集落には「宝福」という苗字が多く、語感と縁起の良さからか記憶によく残っている。
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某苗字系サイトによると、「宝福」という苗字の世帯のうち70%以上が北海道にあるという。





今回まとめた墓地の位置情報はこちら。

茂草集落墓地

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清部集落墓地


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