前回に続いて松前町江良地区です。
街中の古刹、西教寺に付随する墓地調査。
『松前町史』によると、西教寺の建立時期は北海道内で最も早い部類にあたり文禄二(1593)年、松前氏の前身蠣崎氏の五代目当主:蠣崎季広によるとある。
浄土真宗の寺院で、本寺は城下の専念寺である。
『丸に梅』
「梅鉢」は良く見かけるが、こちらはシンプルなためかあまり見かけない。「梅」の基本家紋。
道南は海上交通の関係上古くから加賀・越前との繋がりが深く、元はそちらからの移住者と名乗る家も数多い。
「梅鉢」が多い理由はこのためか。
使用家は野村さんと猩々(しょうじょう)さん。
猩々さん、北海道に多い珍苗字である。
『丸に三つ梅輪』
こちらも梅の派生種家紋。
その形態は『丸に頭合わせ三つ唐鐶』に酷似するが、鐶特有のふくらみがないことで判別できる。
珍しい。
使用家は中江さん。
『竹輪に右二つ巴』
竹輪は知内町に多く見られた。
神職に関係があったが、これは無関係だろう。
使用家は中江さん。
『抱き牡丹』
見難いが牡丹である。牡丹紋は平安時代には既に獅子とセットで用いられていた。
「獅子は百獣の王、牡丹は百花の王」と称され、非常に尊ばれた。
また関白家・近衛家の家紋としても使用された。江戸時代では菊、桐、葵に次ぐ権威を持っていた家紋である。
使用家は榊さん。
『丸に荒枝つき右三階松』
何百基という墓石を見ることになる現場では、見逃してしまいがちな松の変種家紋である。
数自体は多いようで、知内町や上磯町などに存在する。 気をつけていると意外に見つかるものである。
使用家は松谷さん。
このイエも、苗字と家紋の関係性がみてとれる。
『一重亀甲に桔梗』
六角形に五角形を配した図形的印象の強い家紋。
美しい。
使用家は福井さん。
おまけ、珍苗字。
乙丸(おとまる)
今回訪れた墓地の位置情報です。
より大きな地図で 墓地 を表示
街中の古刹、西教寺に付随する墓地調査。
『松前町史』によると、西教寺の建立時期は北海道内で最も早い部類にあたり文禄二(1593)年、松前氏の前身蠣崎氏の五代目当主:蠣崎季広によるとある。
浄土真宗の寺院で、本寺は城下の専念寺である。
『丸に梅』
「梅鉢」は良く見かけるが、こちらはシンプルなためかあまり見かけない。「梅」の基本家紋。
道南は海上交通の関係上古くから加賀・越前との繋がりが深く、元はそちらからの移住者と名乗る家も数多い。
「梅鉢」が多い理由はこのためか。
使用家は野村さんと猩々(しょうじょう)さん。
猩々さん、北海道に多い珍苗字である。
『丸に三つ梅輪』
こちらも梅の派生種家紋。
その形態は『丸に頭合わせ三つ唐鐶』に酷似するが、鐶特有のふくらみがないことで判別できる。
珍しい。
使用家は中江さん。
『竹輪に右二つ巴』
竹輪は知内町に多く見られた。
神職に関係があったが、これは無関係だろう。
使用家は中江さん。
『抱き牡丹』
見難いが牡丹である。牡丹紋は平安時代には既に獅子とセットで用いられていた。
「獅子は百獣の王、牡丹は百花の王」と称され、非常に尊ばれた。
また関白家・近衛家の家紋としても使用された。江戸時代では菊、桐、葵に次ぐ権威を持っていた家紋である。
使用家は榊さん。
『丸に荒枝つき右三階松』
何百基という墓石を見ることになる現場では、見逃してしまいがちな松の変種家紋である。
数自体は多いようで、知内町や上磯町などに存在する。 気をつけていると意外に見つかるものである。
使用家は松谷さん。
このイエも、苗字と家紋の関係性がみてとれる。
『一重亀甲に桔梗』
六角形に五角形を配した図形的印象の強い家紋。
美しい。
使用家は福井さん。
おまけ、珍苗字。
乙丸(おとまる)
今回訪れた墓地の位置情報です。
より大きな地図で 墓地 を表示
越前三国出身の長谷川長次郎の長女です。屋号は越前屋 木屋 です。
三国の寺も 梅紋でした カタバミかと思いました。
何かお気付きの点があれば教えて下さい。