さて今回からやっと上ノ国町に入ります。
夏までにストック分が消化できるのか、果たして怪しいものである…。(実際に行った日付が2012年6月下旬という時点で色々とおかしい)


上ノ国町は北海道では松前町と並んで最も早く和人が定住していた地域であり、花沢館跡、夷王山、上国寺、旧笹浪家など貴重な史跡も数多い。
入り組んだ海岸と発達した砂浜が形作った漁民的風土からは、古へ誘う潮の匂いが漂うぞ。

墓地とともにそこらへんも紹介していきたいですね。ではいきましょう。




小砂子(ちいさご)地区は松前町から接続する檜山支庁最南端の集落で、その由来はアイヌ語の「チシエムコ(高岩の水上)」であるという。(例によって『蝦夷地名考幷里程記』より)
また『蝦夷記・蝦夷喧辞弁』によれば、菅江真澄が現地の老婆から聞いた話で「昔、ここの磯山の土を取ろうと背丈三尺ほどの小男が船でどこからともなくやってきた」からだという説もあるが、あくまで地名由来譚の一つである。

ちなみにこの話には続きがあり、浦人たちは小人がどこから来たのか確かめようと船で後をつけたが結局波の中に見失ってしまったという。
時折、この村には見慣れない網や浮きが流れ着くことがあり、地元の人はそれを「小人国から流れてきたものだ」といって、燃やした灰を火傷の薬として使っていた。 真澄が件の浮を見て見ると、西洋人が使うコルクであったそうである。



小砂子地区の墓は集落からかなり離れた所に立っており、『天保郷帳』にはこの辺りに畑があるがごくわずかであるという記述が有る。

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大千軒山系の深い谷が続く。




バイパスが近くに通っている。
トンネルの出入り口付近なので、運転時少々危険だ。

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『丸に釘抜き』

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大工道具の釘抜きを意匠化した物。
8の字型のいわゆる「ヤットコ」ではなく、テコの原理を応用した座金釘抜きがモデルである。

良く似た意匠に「目結」があり、その識別は中央の空間の大きさによる。
大きければ釘抜き、小さければ目結であるが、墓石では満足な判断ができないものも数多い。
ただこちらは彫が非常に明瞭で、見分けやすい一例であった。


使用家は佐々木さん。





『丸に三つ松皮菱』

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菱系家紋の一つ、「松皮菱」の派生形である。珍しい。
一見アンバランスな松皮菱がかっちりと組み合わされた様は整然として美しい。

使用家は原田さん。




今回の調査地位置情報です。

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