上ノ国町石崎地区は上ノ国町南沿岸部最大の集落である。

古くは嘉吉元年(1441)、下北から渡道した畠山重忠の一族厚谷右近将監重政がこの地に、いわゆる道南12館の一つ比石館を築き、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで攻め落とされたという記録がある。
中央に集落を二分するように石崎川が流れており、この河口の南に切り立った岬がある。これが比石館跡で、コシャマインの乱の後再興し少なくとも16世紀ごろまでは人が住んでいたという。

現在ここには館神社と灯台があり、そのすぐ真下は以前紹介した石崎漁港トンネルとなっている。
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また石崎川の上流は早川と言い古くから砂金の採取が行われ、明治晩年からは鉱山の開発もされていた。
上国鉱山跡と早川廃村はその遺構である。
石崎の地名は、古名に上記の「比石」があることからアイヌ語の「ピツウシ(石の多い所)」の和訳とされる。(『北海道蝦夷語地名解』

寺院裏手の小高い沢伝いに墓地があった。割合広く感じる。
ちなみに以前ここにあげた「棺に履き物を入れ忘れた話」の舞台は、ほかならぬここ石崎墓地。

『丸に三つ扇』
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珍しいと思って居たが、だいたい一つの自治体に一軒~二軒の割合で存在する。
最初に発見した時は衝撃を受けたものだが…悪い意味で慣れたものである。

使用家は村山さん。

『井桁に木瓜』
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道南地域では家紋より、屋号として使われることの多い「井桁」
井桁も木瓜も北陸地方に多い家紋であり、同地域からの移住者であろうか。

使用家は山田さん

『松皮菱に梅鉢』
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始めて見かける組み合わせ。
松皮菱に直接埋め込む発想はなかった。家紋の世界はまさに無限。勝手ながら、カスタ○ロボを思い出してしまいました。
使用家は浅原さん

『中陰松皮菱に五三の桐』
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引き続き松皮菱の派生寄木家紋。
輪のように抜いたこの形も初見。上記となにか関係のある家なのだろうか。
使用家は杉村さん。

『八角に武田菱』
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こちらもあまり見ない取り合わせ。 ちなみにこれは石崎のお寺の住職の墓。

さらに上へ進むとこんなものが
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この墓は江戸後期に生きた「松前平角」なる人物のもので、齋藤流松前家の血筋にあたる。
彼は武芸に秀でており、寛政元年にクナシリ・メナシの戦いや漁民一揆の目付役として参加した後は樺太を探検、『樺太見聞録』を著した。 上ノ国住民と共に余市の開拓をしたとも云われ、文政二年二月十三日に亡くなると知行地である石崎に葬られた。
彼の墓は今では風化して読めなくなってしまっているが、斉藤流松前家の家紋「八角に武田菱紋」が彫られていたようで、そのためか古くから地元住民に「バッカクさんの墓」と云われている。

『丸に変わり三つ柏』
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柏というより桑の葉に近くなった。
使用家は太田さん


『真向き蓮』
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家紋辞典未掲載だが、似た形状と意匠から類推して勝手に名づけた。
もちろん初見である。蓮玉というとしっくりくるか。
使用家は細川さん

奥にこんなものが。
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こちらの後ろに小さなお堂が建って居た。
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石崎、まだまだ見足りない。

今回の墓地の位置情報です。


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