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「電気」と言えばある意味文明の象徴であり、今や生活に欠かせない先端技術の一つである。
しかし今回はそんな先端であっても、今は昔になった「電気の産業遺産」を取り上げたいと思う。

それでは行きましょう。
旧発電所跡、大沼第一発電所。

大沼発電所は第一、第二、第三すべての遺構が残っている。
数年前からこの話を聞いて居たが、ハッキリ場所を聞いたのは第一のみで、第二は場所がよくわからず、第三は立地が薮の中で季節を選ばないと探索が容易でないのでなかなか行けずにいた。
悶々として二度年を越し、第二発電所の場所がわかったのが昨年夏。そして雪が解けた今、ようやく第一~第三すべてを一日にして訪問することができたのである。

七飯町から鹿部町に入ってすぐに第一発電所は存在する。
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今はとある牧場の倉庫として使われている。

当然のように煉瓦作り。
古代の水道橋を髣髴とさせる。
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明治大正期、函館は一大商都として繁栄を極めていた。しかしその電力は慢性的に不足がちであったので、明治39年に「渡島水電株式会社」が設立され、大沼の水利を使った水力発電事業を計画した。その最初の目玉が「大沼第一発電所」であった。
工事は問題なく進み、明治41年8月29日に折戸川の水流を利用した出力1000キロワットの水力発電所として送電を開始した。北海道では三番目の竣工だった。後に木樋であった水路をコンクリート製改修し、出力も最終的には3000キロワットに増加した。
事業はさらに拡大し、大正昭和に入ると第二、第三合計3つの水力発電所が建築され、函館地方の電力供給にあたったが、昭和40年にはピークロード方式の七飯発電所が竣工、3つの大沼発電所はその役割を終え、現在の姿に至るのである…

ちなみに渡島水電は明治42年に函館水電となり、昭和9年には帝国電力と改名、昭和15年に大日本電力と合併し、戦後昭和26年に北海道電力に改編された。

『函館水電株式会社写真集』に竣工当時の第一発電所の写真が載っていた。
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現在よりかなり川幅が広い。

↓現在の同じ場所。
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大分埋まってるなあ
気味の悪い沼地のようになってしまった。

比較すると、上の写真と下の写真で建屋に少し違うところがある。
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…おわかりいただけただろうか。
ここである。

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上記の出力増加にともない、増設工事でもしたのだろうか?

こちらは1945年まで運行していた大沼電鉄の写真で、背景に第一発電所が映っている。
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川向いの面。
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この入り口、小さくてトラクターが入れないようで、このように打ち抜かれていた。
わずかにアーチ型の後が残る。
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それでは中に行って見ましょう。

…巨大
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巨大、とにかく巨大である。

これは冬の間の家畜の餌となる牧草ロール。
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圧迫感と解放感が同居する不思議な空間。
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二階もあるのか。これは期待。
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ちなみにこちらは操業当時の所内
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「GENERAL ELECTRIC COMPANY」
調べてみると、これはアメリカのゼネラルエレクトリック社のことだった。発電機の製造会社である。
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教会のようでもある。
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階段を発見。あら素敵。
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手すり(欄干?)と棚受からアンチーク臭が
暫く撮影した後、やっと登る。
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この手すり、がたがた言うよぉ…
壊したら冗談で済まないので、壁に直接手を付けて登る。

急すぎる。
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這いつくばってたどり着いた扉の奥は

踊り場のような部屋でした。何故か某歌姫の色使い。
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こいつのせいか。
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上の写真によると、現役当時この部屋にはサーバー風の機械が並んでいたが一体何に使った機械なのだろう。

なかなか高い。
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他サイトさんの画像によると夏には牧草ロールがなくなる。
さぞ広い事だろう。
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防空壕のような佇まい。
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板の向こうはなんじゃろな。
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ただの屋根裏でした。

滅んだものの気配。
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奥にも部屋がある。 
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配電盤室らしい。

ブレーカーかな
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…?
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どうも電気はわかりません。

ちなみにこの部屋、配電盤前の扉が吹き飛んでいるため、ちょっとバランスを崩すだけで外の世界に旅立てるというなんとも粋な計らいが施されている。
正面から撮影していないのはそこらへんの関係による。ご容赦ください。

お隣の部屋
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戦災遺跡に思えてきた。

たしかにこの物件は戦災遺跡なのかもしれない。いや、正確に言うと「災害遺跡」である。というのもこの発電所の立地は鹿部町、地元の方なら何を言いたいか既にお分かりかもしれない。そう、あのお行儀の悪い活火山北海道駒ヶ岳の山麓なのだ。
この発電所の完成は明治41年、ということは昭和4年の大噴火の際になんらかの被害を受けているのではないかと思い調べてみると、やはりそれなりの被害を蒙っていた。

『駒ヶ岳爆発災害誌』によれば、第一発電所は煉瓦作りであったためか幸運なことに建屋、機械共に無傷であった。しかし水路約400間(約720m)、放水路約8尺(2.4m)が溶岩で埋没し、これを取り除くのに当時費用にして約一万円。
社宅10件のうち、9軒が焼失し損害約一万円。
送電線碍子破損、損害約一万円。
送電線電柱ラインスイッチ破損、損害約一万円。
その他、数日間運転停止を余儀なくされたと記録に残っている。

被災当時の第一発電所の写真と新聞記事
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開業当時に比べて折戸川の川幅が非常に狭くなっているのはこの噴火のためらしい。大噴火という災害を潜り抜け、約100年後の今にまで残る姿に感動を覚えずにはいられない。

災害談義はここまでにして、部屋の探索に戻ります。

これだけなぜか残って居た。
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クロゼット?

天井
何故か中央にのみ深い溝が彫られている。
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何か吊ってたのかな。

本当に防空壕か要塞跡みたい。
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この扉の向こうは…
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一体何のための空間だったんだろう。

中央の部屋に戻る。
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こちらにも階段があるようなので、帰りはこちらから。
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!!?
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殺す気か!
やけにトラップが多い気がする。

黙ってこっちを降りる。
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うーん 遺跡風。
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棚受 軒下飾りとも
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しかし、なぜここの壁だけ赤い。

こいつの反射ではない。
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次は第二発電所になります。

今回の参考文献
・函館水電/編 『函館水電株式会社写真集』 函館水電株式会社 1914
・函館水電/編 『函館水電株式会社創立二十周年記念帖』 函館水電株式会社 1926
・鹿部町史編集室/編 『鹿部町史』 鹿部町 1994
・鹿部町史編集室/編 『鹿部町史写真集』 鹿部町 1993
・池田清/編 『駒ヶ岳爆発災害誌』 北海道社会事業協会 1937
・北海道建築士会/編 『北海道の開拓と建築』 北海道 1987