これは先日、たまたま函館図書館で見つけた話だ。
『函館新聞 明治廿四年六月十日 第三千五十八號』の掲載記事である。(原文そのまま、[]内は筆者註釈)


「○椽下より棺桶
東川町願乗寺[現在の東川町本願寺西別院]の裏通に鳥屋あり
同家の家族は何時も病に伏し醫薬の効もなく詮方尽きて賣卜者を招きて八卦置きしに住家の椽下に何か不潔なる物あるべしと云ふにぞ
昨日八疊計りの處椽板を外し敷地を堀取りしに一個の棺桶を發見せり
夫より愈々發掘するに出るも〱七個を發見せり
玆にて蓋をなし委細は明日開けます」


そして上の通り、翌日の『函館新聞 明治廿四年六月十一日 第三千五十九郷』に続きがあった。


「○棺の蓋開け
昨日の紙上に椽下より棺桶の出たることを記載せしか尚委しく聞くに同家の主人は石川縣平民能登國のものにて當時東川町百五番地に寄留し棍榮太と呼ふものなり
此頃隣地の家屋を取解したるに依り自宅の宅屋も新築せんと思ひ家屋を取毀ち地伏をなさんとしたるに去る八日のこと下より一個の棺桶の現れ出てしに是はと計り打驚き他にもあらんと堀出すと果して四五個出てたり
年古りたれば腐朽して潰解し中には白骨頭顱壘々たり
其内の一個は尤も新しきものと見えて腐朽せず水の過半浸入しあるを見たり
堀出したる棺は一昨日住吉町の墓地監督に依頼して廿錢にて地所を借り受け讀經して埋骨せりと云ふ
前号には八卦の効用を書きしか榮太郎は眞宗なれば决して左樣なものを信せず依頼みもせぬと云ふか何は兎もあれ亡者も定めて滿足の思したらん」






易者の目が本物なのか、何故そんな所に棺が埋まっていたのか。果たして今では闇の中である。
…そして、「榮太」なのか「榮太郎」なのかも。