これは年代こそ判然としないが、北海道檜山支庁の乙部町であった話である。



昔、乙部の街の入り口には「壁坂」という場所があった。切通しの道で粘土が露出しており、当時の民家はこれを使って土壁を塗り立てたので自然と壁坂と呼ぶようになったという。
ここに吉松(きちまつ)という男が住んでいて、「壁坂の吉松」と呼ばれていた。
また、今の緑町付近を昔は下町といって、ここには亀蔵という男が住んでいた。

その二人があるとき床屋で一緒になったとき、いろいろと話すうちに最近街の金持ちが買った発動機船の話題になった。
吉松が「その発動機船と磯船とどっちが早いだろうか?」と聞いてみたところ、亀蔵は「長い間を漕ぐなら負けるが、ちょっとの間なら発動機なんてクソでもくらえだ」と自信満々に答えた。
当時の船といえば磯船が主流で櫓漕ぎである。対して発動機はスクリューだ。吉松は「発動機の船の進む勢いときたら速いことこの上ない。櫓の船なんて相手にならんよ」と返した。
お互い漁村育ちの熱くなりやすい気質のせいか次第に話は言い合いになり、ついには実際競走してみようじゃないかとなって、お互い一升酒を賭けて乙部の浜へ向かった。

二人は遠くに見える澪標まで先にたどり着いたほうが勝ちと定め、「よーいドン!」の掛け声で浪打ち際に駆け入った。
吉松は発動機の紐を引いたがなかなか回らない。二、三度引いてやっとエンジンがかかったかと思うと今度はスクリューが回るまでややしばらくかかる。なんとこの発動機、発動機は発動機でも蒸気式だったのである。
そうこうしているうちに、亀蔵の磯船はえっちらおっちらと沖の方へ行ってしまい、結局そのまま先に着いてしまった。


この様子が伝わると以来村の衆は、蒸気発動機に櫓船で勝ったもので亀蔵を「蒸気亀」と呼び、「壁坂の吉松、蒸気亀に負けた」と話したのであった。





これが乙部の湾である。
手前が乙部の街でちょうど緑町にあたる。

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そして今回この話を取り上げた理由は一つ。
「蒸気亀」というあだ名のセンスが個人的に気に入ったのである…。

・出典
乙部町史編さん審議会/編 『乙部町史』 2001年