第二発電所からさらに3キロほど鹿部本町方面へ向かうと、現在の北海道電力鹿部変電所の奥に見慣れない煉瓦造りの建物が残っている。

大沼第三発電所である。数回に分けて紹介してきた大沼発電所群もこれにて最後となる。

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大沼第三発電所は函館水電が計画した三つの発電所の中で最も遅い大正8年(1919年)8月26日に送電を開始した。
他二ヶ所は折戸川を利用したが、こちらは鹿部川から水路をとりそのまま同川に放水する形をとった。
また中央部に見える塔型構造物の中が空洞になっており、後方の山から水を直接落下させてタービンを回した。他の二ヶ所に比べてかなり異色の物件である。

以下、往年の姿
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鹿部川の第三発電所堰堤
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中央右側に第三発電所が見える。
手前の鉄道車両は当時走っていた大沼電鉄である。
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昭和4年の駒ヶ岳噴火により被災した第三発電所。
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『駒ヶ岳爆発災害誌』によれば、このとき発電所と発電機器自体に被害はなかったが、水路が1600間、放水路が溶岩と降灰により埋没。この排除復旧に当時の貨幣価値で約5万円の他、社宅十戸が倒壊し、この修復に当時の金額で約1万円の費用がかかったという。

さて、いつもの物件紹介がすみましたのでそれでは潜入。
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北海道電力鹿部変電所の裏からコンクリートの基礎を挟んで一段低い位置にある。
半分湿地のような場所だ。

前の二ヶ所とは比べ物にならない荒れ具合。
蔓が少し気持ち悪い。
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もし現地に行かれる方がいたら、ここは晩秋から春期の探索をおすすめする。なんでかって? 夏になる前に人の住む世界ではなくなるからである。
自分の身の丈より高い藪なんて誰も入りたくなんかないだろう。まして地面は湿った泥土。マムシにいつ咬まれるか知れたものではない。

実をいえば私は一昨年、昨年と相次いで時期を逃して探索不能になってしまい、今年になってやっとちょうどよいタイミングで潜入を行うことができた。他の二ヶ所がいつでも訪問できるような場所であるにも関わらず、今の今まで先延ばしになっていた原因は、一日で三ヶ所すべてを回りたかったという筆者の面倒くさがりな性格のためである。
前々から予告していたにも関わらずお待たせしてしまい、非常に申し訳ありませんでした。
この場を借りてお詫びいたします。


街の中でも少し人気がない場所の立地。知らない人が見たら廃墟と化した洋館にもみえるだろう。
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いかにも誰かが覗いていそうな感じがする。
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上の古写真によると創建当時からあるこの装置。
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なんに使うのか私にはさっぱりである。
送電口?

どうやら建物の中も水浸しで湿地帯化しているようだ。…って
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なんか大木が生えてるんですけど。
そしてなんだか水がしたたり落ちるような音がするような…。


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写真左側すぐ横に岩肌が露出している。どうやら建設時に山を削って敷地を作ったようだ。
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入口。第二発電所よりも少し小さい気がする。
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さて、中はどうなっているのか。
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…正直これはすごい。
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他の発電所より若干狭い感じ。

天井がまるまる吹き飛んでいるが、その他の構造は比較的保存状態がよい。
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それにしてもこの土砂。 入口が小さく見えたのはこのせいか。
窓や配管の位置から見積もって、少なくとも50~75㎝は積もっていると考えられる。
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どこからこんなにやってきたのだろうか。 そしてさっきから聞こえる水の音はなんだ。

…犯人はこれか。
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正面から見て左側、塔がある壁方向から水が流れ出ている。
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覗いてみると
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た、滝だ…。

どうやらこの塔、廃止時にも導水管がふさがれることなく放置され、50年近くもの間上流から水と土砂を運び続けているようだ。
健気なことである。
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どうせなら直下に行きたいところだが、排水口が悉く土砂で埋まりつつあり子供くらいの体格でなければ通ることは不可能であった。
この調子で行くと近い将来完全に埋まる勢いである。

意外に配線がそのまま残されている。
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古い漆喰や石材とセットのこいつ(橙色の)
よくわからないけど粘菌の類?
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第二発電所の写真から考えると、この二階部分が運転管理室か。
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一階二階共に東側に回廊がある。
行けるとよいが、天井の残骸が邪魔でどうも怪しい。
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骸に命。
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電灯。
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こちらは謎。
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昔の発電所は四角い窓のほうが少ないかもしれない。
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ブラックサバスのジャケット風
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ツルアジサイ。
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正面奥の部屋へ向かう。こちらも埋まりつつある。
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大久野島や来島の戦跡廃墟を思わせる光景。
…がやはり埋まりつつある。
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投光器に似た室内照明。
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洒落ている。
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緑色の空間。
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これも照明用か?
一応言っておくと、これは天井。 アーチ状になってます。
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天井アップ
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もう一枚。
ところでみなさん、抹茶ラテは好きですか?
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私は大好きです。

一番北側の小部屋。 より高く土砂が積もっている。
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こっちは行き止まりだった。

東側の通路が別の部屋へ抜けられそうなのでそちらへ向かう。
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上流で砂鉄が産出するようだ。 そういえばここは亀田半島の付け根だった。
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50年間、流れは止まることなく。
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同じ部屋。
碍子だけが壁に残る。
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天井は…金属?
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さらにすすむ。

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よくここまで育ったものだ。

この部屋は煉瓦でないので建て増しされたものかと思ったが、建設当初の写真にも写っていたのでタービン建屋とは何か別の理由があってこうしたのだろう。
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ナチの収容所風(勝手なイメージ)
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もう二度と開くことはないだろう。
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少し戻って、回廊部分へ。こりゃ二階は無理だ。
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しかしなぜここだけ板壁
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接合に何も使っていないにもかかわらずしっかりと嵌ったままである。
アーチの力、恐るべし。
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ただし、向こう側の要石は外れかけ。

色合いを変えるだけでこの違い。どちらが好きですか?
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昔の刑務所もこんな雰囲気なんだろうな。
…網走監獄すらよくみたことないけれど。
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隣面
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どうやら古い漆喰は赤くなるか緑になるかの二つしかないらしい。
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丸窓。
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煉瓦建築に曲線窓が多いのは単にデザインの問題なのだろうか。

割れてから相当長い時間が経っているのか、風化して素手で撫でても一向に切れる気配がなかった。
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雨が降りそう。
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香川の廃病院にもあったなこれ。
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最後に中央へ戻って二階へ。
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二階中央部。 …の壁。
やはり崩れた屋根が邪魔で東側へ行くことはかなわなかった。
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二階から建屋正面を。
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露出がまるで違う… 申し訳ない。
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蕗の新芽がどうも不自然な色になってしまう。

昔の発電所の多くが煉瓦造りに木造の屋根であるのは、中で爆発が起こった時に上へ衝撃を飛ばして横に被害が広がるのを防ぐためらしい。
屋根が吹き飛んだのが引退後でよかったね。
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二階、北側の出口から。
第一発電所にもあった謎空間。 
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…落ちたら死ねる。

とても内容が濃い一日だった。
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ということで第一、第二と更新してきた大沼発電所も、これにてすべてが終了。

相変わらずのダメレンズと駄腕のコンビでしたが、少しでも古臭い煉瓦の空気を感じ取っていただけたら幸いです。三ヶ所ともども、長くなりましたがご覧いただきましてありがとうございました。
…次の廃墟更新はいったいいつになるやら。


今回の参考文献
・鹿部町史編集室/編 『鹿部町史』 鹿部町 1994
・鹿部町史編集室/編 『鹿部町史写真集』 鹿部町 1993
・池田清/編 『駒ヶ岳爆発災害誌』 北海道社会事業協会 1937