前回に引き続き、法源寺墓地南区と旧寿養寺の墓地を調査。
 三門があるのはこちら側。 前回画像を出せなかったので撮りに行ったところ…

 ああ。
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 シルエットで勘弁してつかーさい…

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 それにしても、銀杏臭い。
 なんでお寺にはよく銀杏が植えてあるのか。


 法源寺本堂。
 火事などにより二度消失している。

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 杉の落ち葉がおびただしい参道の脇にこんなお墓がある。
 江戸時代後期の松前家家臣であり画家でもあった、蠣崎波響の墓である。

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 波響は号であり、名を広年(ひろとし)という。
 松前藩第12代藩主松前資広の五男として生まれ、幼少のころから画を好んだ。 叔父がその才能を惜しんで江戸に上がらせ、10年ほど絵の修業を積んだあと松前へ戻り、京や江戸の文人墨客と交流しながら画業に勤しんだという。
 代表作は寛政元(1789)年に起こったクナシリ・メナシの戦いで松前藩に協力し、事態の終息にあたったアイヌの酋長たちを描いた『夷酋列像』や、函館高龍寺所蔵の『釈迦涅槃図』など。
 特に『夷酋列像』は非常に緻密な筆で描かれた傑作であり、寛政3(1791)年には光格天皇の天覧にもあずかった。 この絵は12枚で一組のものと言われているが、後に散逸して現在松前町内に原画は一枚も残っておらず、函館市中央図書館に2点、フランスのブザンソン博物館に11点が所蔵されている。(なぜ海外へ渡ったのかについては未だに不明)
 平成24年夏にはブザンソン博物館の協力により、これら11点の夷酋列像が松前町へ一時里帰りが実現し、松前城内で特別展示が開催されて話題を呼んだ。

 私も見ました。



 もちろん今はもう返却済み。写真撮影も禁止だったので、『夷酋列像』を詳しく見たい方は検索先生に頼ってね。(だってフリー素材がないんだもん…)


 蠣崎波響の墓碑

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 他の同時代の墓に比べるとかなりきれいな状態で残っている。
 いい石材を使ったのもあるのだろうけれど。


 話は変わるが、法源寺や法幢寺の墓地には、家紋や屋号とは異なって記号のようなものが刻印された墓石がある。

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 上はアラビア数字の「4」、下は「+」のような記号が墓塔の土台部分に彫られている。

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 これらが見つかり話題になったのは昭和40~50年代のことであり、中には十字架やローマ字をおもわせるものもあったため、隠れキリシタンに関する新発見ではないかと注目が集まったが、その正体は部材を正しく組み合わせるための番付であった。
 また、記号が彫られた墓石は笏谷石など外部からもたらされた石材が使用されているため、一度完成した墓をばらし、北前船で輸送して再び松前で組み立てるために付けられたのではないかという話だ。

 いわゆる「宗教的用途の遺物」とかオーパーツなんかの真相も、実はこういう単純なところなんだろうなと思う。

 

 さて家紋に移ります。

 『丸に木文字』

DSC_1109 丸に木文字

 独鈷か三叉槍のようだ。
 文字家紋は現代のフォントのハシリってところだろうか。

 使用家は木村さん。苗字からとったのかね。


 『丸に四つ叉抱き角』

DSC_1124 丸に四つ叉抱き角

 鹿角家紋の基本的なもののひとつ。
 この系統の家紋には角の分岐本数が4つと5つの二タイプがあり、5つの方を「抱き角」 4つのものを「四つ叉抱き角」といって区別している。
 
 使用家は墓石の損壊が激しく確認できなかった。


 『丸に櫛松』

 P1140928 糸輪に櫛松

 松家紋の派生。枝の部分が櫛のようにデフォルメされているので『櫛松』  非常にわかりやすい。
 そして、けっこう珍しくもある。

 使用家は山下さん。


 本堂西側には松前家家臣である蠣崎氏の墓域が。

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 蠣崎氏は松前氏と親戚同士(というより本家分家みたいな間柄)なので、もちろん家紋も『丸に武田菱』


 『五つ金輪』

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 輪違い紋との違いは線の太さ。こちらのほうが細い。
 輪を自在に着脱するあのマジックの種を知りたい。

 使用家は高岡さん。


 『丸に隅立て稲妻』

P1140937 丸に隅立て稲妻

 雷、または電を意匠化したもの。自然がモチーフの家紋は種類こそ多いが、使用している家は少ない。
 主な使用家は備中岡山の伊東家のほか、神道に関係する家系が多い。

 ここでの使用家は氏家さん。
 松前家重臣:氏家新兵衛の家来の墓だとか。


 『丸に三本杉』

P1140938 丸に三本杉

 いつもの杉紋にくらべて意匠化が進んでいる。
 松前城下は他の地域に比べて杉紋の割合が多く(それでも全体で4、5軒だが)、いずれも古い時代の墓であった。

 使用家は墓石の摩耗のため不明。


 『鉄砲角に谷の字?』

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 篆刻体の「谷」の字に見えるが自信がない。
 鉄砲角とは隅立て正方形に正円を入れた図形のことで、由来はそのまま銃口を正面から見た形にみえることから。

 使用家は刻字がなくこれまた不明。


 『二つ穂変わり抱き稲』

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 変種や派生がとてつもなく多い稲種家紋の中で、きちんと家紋辞典に採録されているものの一つ。
 結び目の形が独特である。

 使用家は例によって鈴木さん。


 『丸に鏃付き違い輪』

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 北海道では『違い矢』に比べて少ない?
 鏃の形によっても分類できるそうだが、こいつはそれがついてないという。

 使用家は刻字がなく不明。


 『丸に酒井剣片喰』

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 普通に『剣片喰』との違いは、剣の部分が直線的であること。

 使用家は熊谷さん。


 『釜敷き九曜』

P1140948 金輪九曜(?)

 上で紹介した金輪紋の一種。
 釜の尻に敷く道具のような図案であるのでこう呼ばれる。

 使用家は刻字がなく不明。
 ただ正面から見て右面に「嘉永七甲寅年閏七月十五日」とあるので古いものには違いない。


 『陰五瓜に三つ葉柏』

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 寄木家紋。
 三つ葉柏の彫りがかなりテキトー。

 使用家は不明。
 だが正面に「明和三戊天七月十三日」「明和四亥天二月十三日」「享保八年九月十四日」の文字があり、古いものであることがわかる。 享保の年号は松前城下の墓の中でも輪をかけて古い部類に属する。
 たいていは寛政以降の江戸後期~幕末の年号なので。


 『丸に地紙に花菱』

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 形からみて想像が付くが、地紙とは扇に使われる紙のこと。
 和菓子のような家紋である。

 使用家は不明。


 『左三つ丁子巴』

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 丁子紋の派生としてはそこそこあるらしいが、道南ではあまり見かけない。
 松前城下の墓地では2、3軒存在し、それ以外では見た覚えがない。

 使用家は海野さん。


 法源寺、旧寿養寺墓地ともに石廟型の墓石が存在する。
 旧寿養寺のもののみになるが、最後に少し見ていこう。

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 ほぼ完全な姿で残っているのは三基、いずれも笏谷石製である。

法源寺横の墓地にある霊廟型の墓石


 これらは守廣系蠣崎氏の墓であることがわかっており、250石の執政:蠣崎友廣、成人女性、詳細不明の3名がそれぞれ眠っている。

同じく法源寺の霊廟型墓石。地蔵尊のような浮き彫りがあります。

 造立時期は友廣の死が1658年であるから、おそらくそれと同時期であろう。
 例によって内壁や扉に十三仏や六地蔵のレリーフが彫られている。

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 笏谷石は風化しやすいとはいえ、こういったものが何の保存もされず崩れていくのはなんとも寂しいものである。



 今回の墓地の位置はこちら。


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