先日、函館市中央図書館で『行政区域及町村字名称役場位置』という史料を発見した。
 タイトルを読む限り特に面白味もなさそうな雰囲気が漂うが、読んでみるとなかなかトンデモな内容だったのでここで紹介したい。

 大正3(1914)年9月21日、函館支庁部内文書から事の顛末は始まる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

img183

  内地第五九五七號  町村ノ名称変更ニ関スル件
  町村ノ名称ハ其起原ニ種々ノ沿革ヲ有スルモノアルカ故ニ容易ニ変更スヘキモノニアラサルモ劣悪ニシ
  テ意ヲ成サヾルモノ又ハ不快ノ感ヲ生スヘキモノハ寧ロ相當改称スル方適當ト認メラレ候条此等ニ関シ
  ゴ意見有之候ハヾ御取調上来ル十月十五日迄ニ御回答相願度此案及照會之也
   大正三年九月二十一日
    内務部長 堀内秀太郎
    支廰長殿
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  要するに「管内に意味が通らなかったり、ひどい名前の自治体があるので改称したほうがいいと思うんですが、どうですか?」という内容である。
 続く同年11月4日付の史料には

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  九月二十一日内地第五九五七号ヲ以テ照會相成リ候
  本件ハ左ノ通リ改称可能認メラレ候

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 と、改称を許可された村名が挙げられている。※以下、[]内筆者注釈

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  一 知内村ヲ鷹取村ト改ムルコト
 (理由)知内ハ読悪キノミナラス夷語[アイヌ語のこと]ノ原音ニモ遠ク且「チナイ」或ハ「シリナイ」ト誤リ易ク
 電信等ノ通信上ニモ不便ナルヲ以テ夷語ノ原名「チレオチ」鳥ノ居ル處即チ此近傍鷹ノ名所ナルヲ以テ此
 名ヲ称シタルニ因ミ鷹取村トナサントスルニアリ


  二 尻岸内村ヲ文磯村ト改ムルコト
 (理由)仝上ニテ夷語ノ原名「シリキシラリ」即チ模様アル磯ヲ意譯シ文磯村トセントスルニアリ


  三 臼尻村ヲ大舩村ト改ムルコト
 (理由)仝上ニテ夷語ノ原名「ウセイシリ」即チ風ノ島ヲ意譯シ風島村トスル方至当ナリシモ漁村ニ在リテ
 ハ風ト云フヲ嫌フヲ以テ寧ロ此ノ地ニ大舩ノ靈泉アリ世ニ知ラレ居ルヲ以テ大舩村トナサントス


  四 長万部村ヲ神魚村ト改ムルコト
 (理由)「オシヤマンベ」トハ竒ナル名称ニシテ府縣ヨリ渡来セルモノ汽車中ニ於テ此ノ駅名ヲ呼ブヲ聞キ
 テ哄笑スルモノアルハ屢々目撃セル所ナリ且ツ「オシヤマンベ」ト読ムモノハ稀ニシテ多クハ
 「チヤウマンブ」ト読ムヲ以テ電信等ノ通信上ノ不便アルヲ以テ「昔シ神アリ大比目魚[ヒラメのこと]ヲ得テ
 此村ノ土人[アイヌのこと]ニ教ヘテ曰ク此魚ハ神ナリ云々」ノ神話ニ依リ神魚村トセントスルニアリ


  五 銭亀沢村ヲ宇賀村ト改ムルコト
 (理由)仮名六字ニシテ呼ビ難キヲ以テ此村ニアル学校ノ如キハ沢ノ一字ヲ除キ銭亀小学校ト名ヲ付シタ
 ル等ノ事実アリ尤モ銭亀沢ノ名ノ出所詳カナラスト雖モ此辺一体ハ昔時宇賀ノ浦ト称シ詩ニ歌ニ其ノ名勝
 ヲ称ヘラレシ所ナルヲ以テ宇賀村トセントスルニアリ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 村名を改めるというのだから、どれほど深刻な理由なのかと思えば「読みにくい」「ヘンテコだから」と別に大したことではない。
 また、上で挙げた文は清書時のもので、書き直す前には知内村や尻岸内村の項に改称理由として最初に

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  不快ヲ感スル

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 とあり、臼尻村に至っては

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  「臼」ト「尻」トハ甚面白カラサル名称ニシテ且ツ意ヲナサヽル

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 とまで書かれており、寧ろ読みにくいなどの理由はもっともらしい後付けで、「自治体の名に“シリ”とはけしからん」と言うのが函館支庁の魂胆だったようだ。
 ただ、新たな名称を考えるまで、部署内でアイヌ語の土地名をきちんと調べて協議していることが史料の続きからわかり、近年の市町村合併にみられた旧来の地名をないがしろにした安直なネーミングに比べれば100倍マシなように思える。

 ちなみに改称の許可がでたこの5村、平成の今になるまで上のような地名になったことは一度もなく、知内と長万部はそのまま残って町名に、銭亀沢と臼尻は昭和の大合併の時期にそれぞれ函館市、南茅部町になり現在は字名に、尻岸内は昭和60(1985)年、自ら恵山町に改称して現在は消滅している。
 現地でもこのような改称の持ち掛けがあったという史料や話は残っていない。 史料には始めの9月21日付文書の方には第一、第二係首席ともに通過した形跡があるが、11月4日の文書の方には第一首席のみで第二首席のサインがないため、おそらく部内でストップがかかったものと思われる。
 すべては函館支庁内のおカタい役人が起こした一人相撲に過ぎなかったのがだろうか。
 しかし、もしもこの村名変更が実際に行われていた場合、この世にまんべ君はいなかったのかもしれない…


 ※史料中に出て来た「堀内秀太郎」は大正3年刊行の『北海道人名辞書』によれば金沢市出身の役人で、大正2年6月から北海道庁内務部長になったという。

 img182a