今回からやっと厚沢部町に入ります。実地調査から約2年…一体どれだけストックを貯めるつもりなのか。 
厚沢部町は厚沢部川が作った平野と盆地が発達した場所で、基幹産業は水田耕作とジャガイモ畑作をメインとする農業。道南でもかなり北海道らしい町だ。

まずは江差町小黒部地区から厚沢部へ抜けた先にある赤沼地区墓地から。
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赤沼の由来はアイヌ語の「アカヌプ(尾根の間の原野)」によるといい、公的文書に最初にその名が現れたのは『天保郷帳』の「従松前西在…(中略)…目名村、右枝村赤沼村」という記述からだという。
住民は炭焼きを行いながら、春はニシン漁に従事する生活を行っていたが、万延元(1860)年に小滝熊吉という人物が水田耕作を始め、以降は平地が少ないので畑の開墾、耕作が盛んになった。
また、地内には「赤沼鹿子舞」という一風変わった獅子舞のような伝統芸能が伝わっている。(厚沢部町や江差町付近の集落にはそれぞれ独自の鹿子舞が多く残っている)

・丸に三つ銀杏
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あるところにはあるという微妙な存在感を持っている家紋
ない地域にはまったくないが、ある地域には1墓地あたり1件はある程度。
使用家は北さん。

・丸に三つ盛り亀甲に花菱
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使用家は大瀧さん

・?
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家紋としてこれに近い形状のものをまったく見たことがない謎の意匠。屋号か?
使用家は木口さん。 地元の人に協力してもらい、近辺の木口という家を何軒か廻ってみたがその正体は掴めなかった。


続いて、富栄地区の墓地。
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「富栄(とみえい)」の地名自体は新しいもので、由来は「富み栄えるように」というゲンを担いだもの。
もとは土橋村の一部で、昭和35(1960)年に厚沢部村の行政名として使用されている。ここにも山仕事から生じた独自の富栄鹿子舞が伝承されている。 

不動さん。しかし、昭和時代のもので新しい。
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・丸に六つ丁子
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丁子家紋の中では最もメジャーなもの。
使用家は二木(ふたつぎ)さん。 薩摩出身の厚沢部開拓者:二木小児郎の使用した家紋と同じであり、何か関係がある家かもしれない。

・立ち杜若の丸
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なかなか珍しい。デザイン的に新紋にも見えてしまう。
使用家は石山さん。

・丸に菊菱
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・糸輪に菊菱
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微妙な違いだが、菊菱の場合この二つは明確に区別されている。
使用家はどちらも糸畑さん。親戚筋か?

・変わり沢潟桐
DSC_0569 変わり沢潟桐
見た目のインパクトがすごい珍家紋。沢潟の花と葉で桐の形をかたどったもの。
使用家は尾村さんと滝沢さん(共同の墓)

最後に余談。
一連の風景画像とここだけ明らかに季節が違うのは、周辺でこの墓地の発見が遅れてすっ飛ばしてしまい、後日改めて調査を行ったため。
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明らかに春先…

今回の墓地の位置はこちら。

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