引き続き厚沢部町の墓地分。
今回は上里地区から。
上里が行政地名になったのは昭和35(1960)年のこと。昔、この一帯を「上俄虫」といい、厚沢部本町から少し離れた集落であったことに因んで発生した地名だという。

かつてこの一帯は俄虫(がむし)村の一部だった。『青江理事官諮問回答書』によれば、天正年間(1573~92年頃)に陸奥国福島(現福島市)から渡って来た徳兵衛なる人物が檜山稼と農業に従事した以来の村だという。
・丸に三つ葉葵

水戸黄門でおなじみ。
使用家は長尾さんと久保田さん。
・八角に片喰

「八角」と「隅切り角」の見分け方。
正方形に近いのが「八角」
菱形に近いのが「隅切り角」
使用家は飴谷さん。この付近では割と多い苗字らしい。
次に滝野地区。こちらも昭和35年からの行政地名で、由来はこの付近を流れるキライベツ川に「清川の滝」があり、 その下流一帯を「滝廼(たきの)」と読んだことによるらしい。
かつては安野呂(あんのろ)村の一部だった。
・丸に陰武田菱 丸に変わり隅立て四つ目

通常の武田菱の陰ver
隅切り四ツ目や普通の武田菱はよく見かけるが、こちらは珍しい。
使用家は佐々木さん。
(2016年1月10日追記)
コメントにて、佐々木さんの使用家紋は四つ目結が最も多いことから、こちらは陰武田菱ではなく、隅立て四つ目の変形ではないかという意見をいただきました。
shirayuk81様、ありがとうございました。
紹介するべき家紋が少ないので今回はこの辺で。以下、位置情報。
大きな地図で見る
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今回は上里地区から。
上里が行政地名になったのは昭和35(1960)年のこと。昔、この一帯を「上俄虫」といい、厚沢部本町から少し離れた集落であったことに因んで発生した地名だという。

かつてこの一帯は俄虫(がむし)村の一部だった。『青江理事官諮問回答書』によれば、天正年間(1573~92年頃)に陸奥国福島(現福島市)から渡って来た徳兵衛なる人物が檜山稼と農業に従事した以来の村だという。
・丸に三つ葉葵

水戸黄門でおなじみ。
使用家は長尾さんと久保田さん。
・八角に片喰

「八角」と「隅切り角」の見分け方。
正方形に近いのが「八角」
菱形に近いのが「隅切り角」
使用家は飴谷さん。この付近では割と多い苗字らしい。
次に滝野地区。こちらも昭和35年からの行政地名で、由来はこの付近を流れるキライベツ川に「清川の滝」があり、 その下流一帯を「滝廼(たきの)」と読んだことによるらしい。

かつては安野呂(あんのろ)村の一部だった。
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隅切り四ツ目や普通の武田菱はよく見かけるが、こちらは珍しい。
使用家は佐々木さん。
(2016年1月10日追記)
コメントにて、佐々木さんの使用家紋は四つ目結が最も多いことから、こちらは陰武田菱ではなく、隅立て四つ目の変形ではないかという意見をいただきました。
shirayuk81様、ありがとうございました。
紹介するべき家紋が少ないので今回はこの辺で。以下、位置情報。
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早速ですが、こちらの記事の最後にあります佐々木さんについて。
記事では四角形が潰れてひし形に見えることから陰武田菱とされてますが恐らく武田菱の変形ではなく隅立て四つ目の変形かと思われます。
四つ目結は佐々木さんが使用する家紋の中では最もポピュラーです。
自分は千葉県内の墓地めぐりをしておりますが、北海道は遠いので記事の更新を楽しみにしております。
乱文ながら失礼いたします。