厚沢部町館(たて)地区は厚沢部川中部流域の盆地で、 『松前日記』によれば長禄年間(1457~1461年)に 江口権頭顕輝が築城した国分館があったことに名を由来し、江戸時代を通して炭焼きや山仕事で生計を立てる人々が暮らしていた。
幕末、松前藩が自給自足政策を立てた際には開発適地として選ばれ、10町歩あまりの水田を開発。さらに慶応年間(1865~1868年)になると海防と農業の重要性を鑑みて農地開墾が本格化し、同4(1868)年には新たに館城の築城が始まった。
ところが、明治元年(西暦は慶応4年と同じ)の秋に榎本武揚率いる旧幕府軍が蝦夷地へやってくると、新政府側についていた松前藩兵は彼らと交戦することになった。歴戦の強者揃いである旧幕府軍の前に、武器も練度も不満足な松前藩は太刀打ちできず11月5日には福山城が陥落し、15日には館城で藩兵が徹底抗戦を始めた。1時間ほどの銃撃戦ののち白兵戦になり、松前法華寺の僧侶の身ながら松前正議隊参謀でもある三上超順が左手にまな板を盾にして奮戦したが、江差へ逃れた松前藩主の護衛のため兵が60名ほどしか城に残っていなかったこともあって数時間の戦闘で城は落ちたのだった。
↓後年になって描かれた『館砦志士戦歿之図』 右に太刀を振るう超順の姿が見える
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こうして館地区は北海道では珍しい古戦場跡の村として一時荒廃したが、明治の拓殖期に移入した山田致人や二木小児郎らの努力もあって耕作地が開かれていき、現在も農業を主幹産業とした集落として存続している。
厚沢部町郷土資料館には館城址の発掘によって出土したピストルや銃弾、兵が残していった衣服や道具も展示されている。

と、いつものごとく場所の説明が長くなったところで本題のお墓のお話。
館地区はかなり広く、住所地番では北側を「館」 、南側を「南館」としており、それぞれに墓地があるのでここでもその分け方を使わせていただく。
まずは館地区墓地からみていこう。
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見晴らしの良い高台に配置されている。

・亀甲花菱
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亀甲家紋の中では最も数が多い。
某醤油のイメージのおかげで日本で使用されている家紋全体でも多いように感じるが、実際は探してみるとそこまで多くもない。中堅クラスである。
使用家は鈴木さん。

・丸に切竹に舞い込み雀
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竹家紋の中には雀が配されているものが多く、これはその一つ。
数は少ない。
使用家は新井さん。

・庵木瓜
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道南では割と見かける。
この家紋を使用する家は工藤姓が多いが、ここでは伊藤さんだった。

・丸に離れ剣片喰
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通常の剣片喰との違いは花弁と剣の部分が離れているかどうか。
ここまで来ると紋を彫る時のさじ加減によるようにも思える。
使用家は清水さん。

・丸に剣梅鉢
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梅鉢に剣をはめ込んだもの。渡島支庁より檜山支庁のほうに分布が多い印象。
使用家は伊丸岡(いまるおか)さん。語呂がいい苗字だ。 墓の分布からみると館地区、南館地区に数軒存在するようだ。

番外編 珍しい屋号
・カネ?
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「カネ」までは読めるが「〔」の部分が不明。ここ以外では未だに見たことがない珍しい屋号だ。
おって読み方を調査したい。


次、南館地区の墓地。
こちらは幌内岳の麓に位置する。
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・丸に楓(紅葉)
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見えにくいと思うが、楓の葉一枚がデザインされている。
使用家は上林さん。

・丸に松竹梅竜胆
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笹竜胆の意匠に梅と松を足した縁起がいい家紋。
上磯のお墓で調査した時以来の出会いになった。 
使用家は木村さん。

・丸に違い扇
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閉じた状態の扇を使った家紋。
使用家は伊勢谷さん。

・丸に切竹に笹
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笠もなぜか竹とよく合わされる紋。謎だ。
竹も笠も漂泊神や貴賤思想に関係するアイテムだが… 
使用家は高橋さん。「高橋」という苗字には笠家紋を使う家が多い。

・丸に石川竜胆
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通常の笹竜胆との違いは、花弁の中にめしべの丸い意匠があるかないか。
伊勢亀山城主の石川氏が使用した家紋である。
使用家は木村さん。

・丸に変わり中陰蔦
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蔦家紋は通常中央に丸い点の意匠があるが、これはそれがない珍しいもの。
使用家は竹ヶ原さん。

帰りに南館の辻で撮った一枚。こういう微妙な田舎の寂れた空気が好き。
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ここで残念なお知らせです。
ぐーぐる先生の仕様が変わったため、墓地の場所を示す地図を今回から貼ることができません。
(多分貼る方法はあるんだろうけど、筆者の知識不足による事態)
非常にわかりにくいとは思いますが、何卒ご理解を…