厚沢部町の墓地は残すところ富栄と、美和地区。
しかし、美和地区の写真は探索時間が夕暮れになったのもあってブレまくりであり、富栄地区は別の時期に改めて行ったため、探索順に更新していくというポリシーに反するので、とりあえず一旦置く。
分かりにくいとは思うが、よろしくお願いしたい…。


というわけで今回は上ノ国町の山中に点在する街、湯ノ岱の一集落・中ノ沢の墓地である。
実はこのお墓は、地図に一切記載がされていない。(国土地理院のものでさえ) しかも、場所が「わかりにくい」ため、周囲の道を通るだけではまったく気がつかない、ある意味とてもレアなお墓だ。
私がここの情報を得たのはこの地域の民俗調査報告書からであり、それさえなければおそらく絶対に知りえなかっただろう。

さて、ではなぜわかりにくいのか。
以下の写真をみてもらいたい。これは中ノ沢地区墓地へ向かう道中だ。
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なんとこの墓地、周りに道や民家が一切なく、辿りつく方法が「線路を通る」しかないのだ。
「湯ノ岱」といえば、そっちの業界の人ならすぐにピンとくるだろう。2014年に廃止された旧江差線の駅があり、構内で行われるタブレット交換の風景が有名だった場所だ。
中ノ沢地区はその湯ノ岱駅と神明駅の途中にあり、戦後開拓でひらかれた土地なのだそうだ。
なぜお墓がこんな立地になったのかはわからない。今でこそ江差線は廃止されたが、昔は多くの列車が行き交っていただろうに。お盆の時期なんてどうしていたのだろうか…。

現場付近に着いてもなお、どうやって行くのかよくわからず、近くでまき割りをしていた老人に道を尋ねると「そこを歩いてけ」と指をさされる。
「そこ」…
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いや、思いっきり鉄橋やん… 逃げ場ないやん。
廃線になった後で本当によかった。

慣れない砂利道に膝と足の裏を痛めながら、半信半疑でしばらく進むと、たしかにお墓の姿が見えてくる。 
中ノ沢地区墓地だ。
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小さな山の街の、さらに枝沢の集落のため、墓の基数はごく少ない。
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家紋も、苗字も取り立ててあげるべきものはなかった。
結局、ここの調査は私独りの度胸試しに終わったのであった…。楽しい!(楽しい)