今回は津軽海峡に面した北斗市(旧上磯町)は三ツ石地区の墓地を調査。
こちらも地図には掲載されていない。…国土地理院のさじ加減はいつだってよくわからない。


三ツ石の地名の由来は、『蝦夷実地検考録』によれば海岸にあった3つの石からだとあり、『上磯亀田郡各村沿革史』にも同じことが書かれているがなんとも後付くさい。
北海道で「三ツ石」といえば、日高地方の「三石町」のほうが有名なのでそっちに何かヒントがあるかと思い調べてみると、『初航蝦夷日誌』では同じ由来が、『北海道蝦夷語地名解』ではアイヌ語の「エマニッウシ(魚を焼く串)」など諸説あるとか。
つまりハッキリはわからないということなのだった。うーんもやもや。

集落の歴史としては、今でこそ所属自治体は北斗市(旧上磯町)であるが、江戸時代頃までは現在の木古内町の泉沢村、釜谷村の枝村のようなものだったらしく、そのため住民の苗字に類似性が見られる。
三ツ石が完全に上磯の管轄に入る道へすすむのは明治14(1881)年に石別村の一部になってからだ。
釜谷と三ツ石の間には2~3㎞ほど、海岸段丘の道なき道があるのでそりゃ別れるわなと思う。

さて、墓地のお話に戻ろう。
現場は、トラピスト修道院へ向かう道脇に存在。
・丸に並び鷹の羽
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鷹の羽家紋の中では、違い鷹の羽の次に多い。
使用家は西山さん。 

・丸に違い丁子
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丁子家紋の中ではもっとも多い。
大きな墓地になら1つはあるだろう。
使用家は北見さん。オホーツク海側の都市とはたぶん関係ない。

・丸に五枚笹
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笹家紋の一つ。割とポピュラー。
使用家は中西さん。

これは珍しい
・二つ糸松葉の丸に篠笹
DSC_0536 二つ糸松葉の丸に篠笹
わかりにくいと思うが、松葉を二つあしらって丸の代わりにした家紋である。
見本がこれ
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道南ではここ以外でみたことがない。
使用家は松谷さん。

・丸に角九曜
DSC_0549 丸に並み九曜
九曜紋と言えば、円状に配置したものが第一に浮かぶがこれはあえて碁盤のように並べたもの。
こちらも現在、道南ではここでしか見たことがない。 
使用家は伊坂さん。 

20~30基の小規模なお墓だったが、なかなか手ごたえのある結果を得られて満足満足である。

毎度のおまけ。珍しい苗字のコーナー。
・郷六(ごうろく)
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仙台市内に「郷六城」という城址があり、それを築いたのが「郷六氏」だという。
陸奥国の武家として南北朝時代から戦国時代末期まで存続した「国分氏」の庶流であり、国分氏が伊達政宗に従うと郷六氏もそれに追随。姓も「森田」に変えた。
でもこうして残っているということは、そのさらに分家筋が生き残ってそのまま今にまで続き、いつの時代か北海道へ渡って来たんだろうな。