昨今、新幹線開業に湧く道南地方。JR江差線もこれに伴い、第3セクター「道南いさりび鉄道」としてリスタートした。その釜谷駅から上磯駅間では、海岸段丘沿いに津軽海峡と鄙びた漁村の風景を眺めることができる。

そんな磯の香りが漂う漁村の一画に、古い旅館の廃墟が残っている。
名を「当別館」。地名そのものを冠した、つげ義春のかほりが漂ういかにもな旅館跡だ。 
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函館近辺で生まれ育った私にとって、ここは子供の頃から前を通りかかる度に目を付けていた物件の一つだ。
だが、内部を探索するのはこれ(平成27年3月だが)が初めてだったりする。

場所は津軽海峡に面した国道228号線の、少し奥まった沢の入り口。手前を道南いさりび鉄道の架道橋が通っている。
非常にこじんまりとしており、最初は本当に旅館だったのかも怪しく思っていた。周囲には看板一つもなければ、客商売の物件らしい駐車場もない。民宿とも言い難い雰囲気…。
玄関先に「当別館」という表札さえなければ、完全に民家そのものだ。
しかし、後で調べてみると、昭和9(1934)年に創業したそこそこ由緒のある旅館で、鉱泉までついていたことがわかった。
昭和20年代に村役場で発行した史料に、当別館の広告や写真が載っていた。
※転載避け、または個人情報のため一部修正。ご容赦あれ。
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温泉旅館当別館s
当時から鉄路との位置取りも、建物の間取りも大して変わっていないようだ。
昭和初期の漁村でこの規模はむしろ立派な部類にあたる。


さて、本題に戻ろう。
玄関部分は園芸用品や工具などといったものが雑多に積まれ、前に進むのも苦労する状態になっている。
しかし、屋根と床はしっかりしており、奥で窓や壁が崩れているおかげか、そこまでかび臭いというわけでもなかった。
まずは経営者の居住域へと足を伸ばす。
厨房。 …一般家庭?
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厨房というよりは完全に台所だ。
シンクにはカップラーメンを食い散らかした痕跡や煙草の吸殻が散乱しており、このような田舎にも浮浪者という存在がいるんだなと妙な感心を抱く。

サンマ焼くやつ(名称不明。網?)
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窓辺付近はかなり傾いてきている。崩壊する日も近いか。
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西陽に照らされる戸棚。カビの侵食が目立つ。
天井の壁紙もだらりと垂れ下がっている。
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ストックの食器の量さえなければ、本当にただの一般家庭に見える。
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ここから一歩戻ると、経営者家族の居間である。
こちらはかなり綺麗な状態のまま。
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本棚には、学生向けの試験問題集や大学受験用の赤本が並んでいた。70年代のものと90年代のものが一緒くたにされている。何浪してるんだ…(順当に考えて、親子二世代か兄弟の物だと思うよ)

居間から玄関方面を見る。
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この雰囲気…。やっぱり一般家庭じゃないか。

調べるにこの旅館、平成に入ってからも営業していたようだ。しかし、経営者の老夫婦が死亡するとともに廃業。次代の方は転出していたので、「倉庫代わり」にするというお決まりの廃墟コースで今に至る。
居間から廊下を挟んだ鉱泉跡の風呂小屋は一応倒壊を免れ、今でも汲みだせそうでこそあるが、滾々と湧く…という状態ではなく、虫が浮かんで怪しい色を湛えていた。私は遠慮する。
ちなみに鉱泉と温泉の違いは、大雑把に言えば冷たいか温かいか。
道南一帯は火山活動が盛んな場所であるが、北斗(上磯)から木古内付近には鉱泉が多く、他にも数軒このような廃旅館が存在、または倒壊消滅を辿っている。おいおい紹介したい。(いつになるやら…)

こちらは仏間。
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上磯町当別地区にもきちんとお寺があるのだが、どうやら隣町のお寺の檀家だったようだ。
仏壇や位牌はすっかり片づけられていたので、もうここへ人が戻ってくることはないだろう…。

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ここから廊下にでて風呂小屋と反対方向へ進むと、客室棟となる。
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…のだが、痛みが非常に激しい。

旅館らしい残存アイテム
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ちょうどこの撮影位置の左が客室棟の階段なのだが、雨漏りと湿気による劣化によって大きく穴が開いており、他の廊下もブヨブヨに腐って、いつ踏み抜くかわからない状態になっていた。
勘と、経験則、興味とリスクの天秤に照らし合わせ、ここから先は行かない方が吉という結論を下して戻ることにした。だって、たいがいの廃旅館ってどの客室も似たようなものだし、ここは改装もされてるしでそんなに見所があるようには思えなうわなにをす

風呂小屋に行く廊下も似たようなことになっていたので、外からアプローチしてみることにした。
こちらはさきほどの客室棟廊下の写真で見えていた場所の外側である。
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最初の白黒写真で言う、最も右側のあたりだ。変わってないね。 
撮影中も、JR江差線(当時)の鈍行列車が駆けて行った。
 
裏手に回る。
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廃業しておよそ20年ほど。徐々にではあるが、確実に倒壊が進んでいる。

敷地内を流れる小川に掛けられた危なっかしい橋(という名のただの丸太)を渡って近づいてみる。
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雪解けシーズンから幾ばくも経っていないというのに蔦が絡んでいる。
ここ最近の倒壊ではないことがわかる。

驚いたことに、近所の方は今でもここへ鉱泉を汲みに来ることがあるという。
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建物の裏手は、猫の額ほどの平地になっている。
春の野草が、寒々しい風に花を咲かせていた。
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国道から鉄道橋の先に見える、漁村の一角にぽっかりと空いた懐かしいようで妖しい空間、当別館。
前を通りかかるたび、幼い私はそんな世界に憧れていた。「現実」や「今」から取り残されてしまったそんな場所に入りこんでみたい。そこで何があったか、今何があるのか。調べてみたい。五感の全てで味わってみたい。 そう思い続けていたら、今ではこうして暇を見つけては廃墟や鄙びた街、山里ばかりに出歩く人間になっていた。
色々な意味で、日本には凄まじい廃墟がたくさんある。 この廃墟は規模も小さく、特筆すべきものもない。 しかし、私にとっては確かに思い出深い廃墟、いや原点の一つだ。
今ではあまりこちらへ来ることもなくなってしまった。気づいた時にはすでに完全倒壊ということもありうるかもしれない。 
感慨だとか、史料的だとか、そういったものとおおよそ別のベクトルの「惜しい」という感情が芽生える廃墟というのはむしろ少ない。
個人的なわがままでしかないが、どうか少しでも長く、その姿を保ってほしい。
誰だって、帰ることができる場所があってほしいものだから。


当別館 おわり。